エルサレム嘆きの壁
2017年10月29日
伝道の書 第1章1~2節「生きているだけで丸もうけ!」
三井文勝アンデルセンの童話「マッチ売りの少女」。マッチが売れず、雪の夜、建物の陰で暖をとろうとマッチを擦ると、そのたびに幻が見えました。燃えるストーブ、ガチョウの丸焼き、ろうそくがともるクリスマスツリー、最後に懐かしいおばあさん、そしてそのおばあさんに抱かれるようにして、天国に行きます。
伝道者は「人が生きる意味は何か」、その答えを知りたいと、人としてできるありとあらゆることをしてみました。
しかし、人が望む楽しみをすべて味わっても、また、人がほしいと思うものをすべて手に入れても、空しいとしか思えません。なぜなら、すべての人にひとしく死があったからでした。死の前にすべてが空しくなってしまうのです。
それだけではなく、すべて起こることはでたらめとしか思えなかったのです。善人が報われ、悪人が罰せられるとは限らない。節制している人が病気になり、したい放題していながら、病気にならない人もいる。きちんとしている人が事故に会い、でたらめな人が事故に会わない。人は運命を変えることができず、運命を受け入れるしかない、それが人の一生だと知りました。それなのに、どうして、人は生きなければならないのだろうか。その葛藤の中で、ようやく伝道者は神と出会いました。神が空という枠、容れ物を作られた。その空の中を人は生きていくものであると知ったのです。すべてが空であると知ったのであれば、何も失うものはないということです。何も失うことがないとすれば、することはすべて、益となる訳です。
伝道者のテーマは、この「益」なのです。しかし、「益」を求めれば、結果は空しさを味わいます。しかし、「益」を知っている者は「益」を楽しめます。
伝道者は「この世界で最も幸福なのは自分のしていることを楽しめることだ」と言います。確かに子どもの無心に遊んでいる姿がそれを教えています。
「生きているだけで丸もうけ」、これは 明石家さんまさんの言葉です。さんまさんが自分の歩んできた人生から紡(つむ)ぎ出された言葉です。
私たちは、自分の人生から何というのでしょうか。