2018年1月21日説教
聖書箇所 マルコによる福音書9:14~29 金子政彦
「神の国の到来」
マルコによる福音書は、イエスさまが洗礼者ヨハネから洗礼を授けられ、誘惑を受けられた後、ガリラヤで伝道を始められるところから始まります。
新共同訳聖書では今日の聖書の箇所には、「汚れた霊に取りつかれた子をいやす」と小題がつけられています。イエスの弟子たちが、大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論しているところに、イエスさまが来られます。イエスさまは、「何を議論しているのか」とお尋ねになりました。子どもの父親が答えます、「霊に取りつかれて、言葉をしゃべることができず、所構わず、体をこわばらせて倒れてしまう息子を、癒してくださるよう、お弟子さんにお願いしましたが、できませんでした。」そして、父親は、イエスさまに対し、「おできになるなら、お助け下さい。」といいました。イエスさまは「『できれば』というか。信じる者には何でもできる。」とおっしゃいました。それを聴いた父親は、すぐに叫びます、「信じます。信仰のない私をお助け下さい。」
弟子たちから汚れた霊を追い出せなかったとの報告を受けたとき、「なんと信仰のない時代なのか。」と嘆かれていることからも、イエスさまが、なぜ、主なる神と主なる神が使わされた私を信頼しないのか?ということを問題視されていることが分かります。
「なんと信仰のない(神への信頼のない)時代なのか。」・・・この言葉は、2000年後の私たちにも同じように問いかけられている言葉です。同時にイエスさまは、マルコによる福音書の冒頭で、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」と宣言されています。
信仰のない時代に、神の国は近づいたとはどういうことでしょうか。聖書を通して、ご一緒に考えていきたいと思います。