瀬戸 紀子
私が美野島司牧センターに初めて行ったのは2001年2月でした。「おにぎりの会」がホームレスの方々の為に衣類を集めていると聞いたので、衣類を準備して持って行ったのです。すると火曜日に「古着バンク」(のちに衣類バンクと改称)と名付けられたホームレスの方々に衣類を配布する支援活動がある事が書いてありました。早速次の週に友人と一緒に行きました。衣類は山とありましたが、食べ物としてはテーブルとして使っていたミサの時の荷物台を合せた物の上にパンの耳とインスタントコーヒーがあるだけでした。火曜日に来ていたボランティアは、私たち以外は5、6人のホームレスの人たち自身でした。ホームレスの人達から「ごはんはないですか?」と言われ、夏頃からご飯を出すようになりましたが、一人おちょこ1杯位しか出すことができませんでした。その頃、「衣類バンク」は「福岡おにぎりの会」に所属する活動でしたが、私たちがご飯を出す事を反対されました。しかしどうしてもご飯を出したいので、「おにぎりの会」の話し合いにいきましたが、責任が取れないといわれた為、「福岡おにぎりの会」から独立してご飯を出し続ける事にしました。2002年の5月でした。その時は、「やれるところまでやってみたらいい。どうしてもだめだったらそこでやめたらいい」という夫の一言で始めたのです。衣類を教会の女性会に買っていただき、1万円を資金とし、炊飯器を買いました。ボランティアには材料を渡さず、イースターの卵など作ってきてもらいました。誰も文句を言う人はありませんでした。皆の思いは「ホームレスのため」だけでした。
2003年にグリーンコープの福祉基金を頂くようになり、これは2009年まで続きました。最初の年に中古ですが大きい冷蔵庫を買い、皿や丼、お箸を揃えました。こうして徐々に組織として動き出したのです。2007年には、名称を「美野島めぐみの家」と改め、この年よりグリーンコープから毎週、馬鈴薯、玉葱、人参を戴くようになり、鶏肉や卵も安く買えるようになりました。この頃からパンの耳は出さなくても十分にお腹を満たすことが出来るようになったのです。でもまだお代わりはできませんでした。お土産のパンがリョーユーパンの厚意によって渡せるようになったのもこの頃です。
2008年のリーマンショックは全部の新聞、テレQ以外のテレビ局が大勢取材に来ました。
そのおかげで「美野島めぐみの家」の存在が知られるようになり、カンパや支援物資がたくさん来るようになりました。2009年3月には330人のホームレスが炊き出しに来ました。4月からようやく福岡市も腰を上げ、誰でも生活保護が受けられるようになりました。そして少しずつ来場者が減っていきました。ホームレスから社会復帰した人達がボランティアになり、友達も出来、奉仕の喜びを味わうようになったのです。これも大変素晴らしい事です。
昨年3月から司牧センターの老朽化による建て替えのため、1年間カトリック吉塚教会で準備し、美野島公園で炊き出しをする事になりました。最初はお弁当にしました。しかし皆弁当をもらうとすぐ帰ってしまい、交流がなくなってしまいましたので5月第3週からカレーにし、そこで食べてもらう事にしました。それから今年3月最後の週まで1度も雨に遭う事はありませんでした。朝、雨が降っていることはありましたが、昼近くには止んでいました。最後の日は朝起きると雨でした。さすがに最後は無理かな?と思っているとやはり昼近くにはきれいに晴れてお花見をする人達がいました。
神様はすばらしい事の連続を私達に見せてくださいました。ボランティア同士も一度も喧嘩をしたことはありません。これも感謝な事です。ホームレス支援にかかわらなければわからなかったであろうと思う事はたくさんあります。すべて神様の恵みに感謝します。