【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年7月22日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書2章13節~22節
「神殿粛清」
梅木 光男
本日のヨハネ福音書の箇所には「過越しの祭り」の際に、主イエスが神殿の境内で羊や牛、鳩などを神殿に納めるために売っている者や両替人を追い出し、彼らの台や腰掛をひっくり返した過激な行動が記載されています。俗に言う「宮清め」の場面です。過越しの祭りはユダヤ人にとって大切な祭りです。それはユダヤ民族が抑圧されていたエジプトからモーゼに導かれて約束の地カナンへ旅立つときの「神の救いの恩恵のしるし」と「民族の誕生」を意味するからです。エレサレム神殿は最初ソロモンによって建てられ、その後バビロン捕囚後にゼルバベルによって再建され、主イエスの時代にヘロデ大王によって改修されていました。神殿の本来の役割は「神とすべての人との祈りの家」と「神との交わりのなかで贖罪と祝福を得る」のが主イエスの思いであったのでしょう。しかし現実にはあまりにも世俗化された神殿の姿をご覧になって、神殿の存立基盤を揺るがすものと捉えられたと考えます。
このイエスの蛮行に人々は「しるし」を求めます。当然といえば当然です。彼らは従来の慣習に従い形式規則にこだわっていたし、真実の礼拝が見えていなかったのです。「金で買える安全安心そして祝福」を神からその保証を取り付けようとしたのです。
これに対して主イエスによって16節と19節のみ言葉が与えられています。この異様ともいえる主イエスの振る舞いは「謎」であり、今の我々に対する問いであり答えを求められているのです。神殿の象徴的意味そしてイエスの十字架の死と復活を前提した預言が高らかに宣言されるのです。物質的(見えるもの)ではなく、主イエスの十字架と復活が我々の贖いの供え物として成就するときこそ、新しい霊での神殿が誕生するのです。このことを弟子たちも主イエスの死後やっと理解するのです。主イエスがご自分の存在を賭けて父の家を再建された恵に感謝してそれぞれの人生を送りましょう!アーメン