【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年9月30日説教
聖書箇所 ルカによる福音書10章30節-37節
御言葉(みことば)の実践
福間教会牧師 田宮宏介
わたしたちキリスト者は、教会に通い、礼拝し、説教を聴く。それは神様への感謝を捧げると共に、イエス様の福音を、御言葉を通して知るためである。「善きサマリヤ人」として名高いこの箇所は、よく知られた箇所ではあるが、実践は難しい。特にその当時のユダヤ人とサマリヤ人との対立が激しく、道であっても挨拶を交わすことすら許されない、などと言ったことを知れば、よりいっそう、このサマリア人の行った実践が、当時の常識をはるかに超えたものであるということが分かる。
御言葉は、知るだけでは不十分である。もちろん、まず知ることから始まるのは当然ではあるが、実践は難しい。金持ちの青年が、自分の財産を捨てて、私に従えと言われたイエス様に、ついていくことができなかった時、イエス様が弟子たちに、ラクダが針の穴を通るより難しい(マタイ19:23-24)といわれた事を思い出す。
しかし、御言葉の実践は、福音宣教において、大きな実を結ぶ。その大きな実は、多くの人々に神の国の到来を知らしめ、来世への希望と今を生きる喜びを与える。この実践はキリスト者のみの間で起こることではない。現在の日本には、キリスト者は全人口の1%にも満たないと言われているが、神の力は、キリスト教を知らない人にも、いやキリスト教と敵対する人々にも及ぶ。神はそのような人々をもお使いになり、われわれに福音を語られる。
今朝は、太平洋戦争の敗戦直後、北朝鮮から引き揚げてきた一人の女性の出来事を通じて、福音宣教がいかに語られ続けているかを共有し、喜びをともに分かち合いたいと思う。