【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年10月21日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書 13章47節~50節
天の国の網
梅木 光男
本日はマタイ福音書13章の天国の譬えが多数述べられている中から、地引網のたとえを取り上げました。毒麦のたとえのように最後の審判、又、主イエスの再臨時における天国を啓示を示しています。主イエスはさまざまな事例を通じて天の国とはいかなるものかということを我々に示されています。今日の地引網は福音宣教の網として引用され、魚の豊富なガリラヤ湖に住む人々あるいは漁師だったペテロたち弟子にとって、生活実感のあるたとえなのです。
いろんな種類の魚が網にかかり引き上げられると、そこには大きいもの小さいもの良いもの悪いものなどすべてが含まれています。毒麦と同様最後の最後で選別されるのです。魚たちは捕らえられて岸に引き上げられることを知らない。そのときまで勝手気ままに泳いでいたのです。天国は我々が努力して獲得するものではなく、むしろ神様のほうからわれわれの所に急に来て現実の我々を一網打尽に捕らえて選別されるのです。ここでのポイントは天国は遠く離れた浮世離れした「あの世」ではなく、今の現実が既に天国に包みとられている、そして我々は神様のもとに引き寄せられているということを銘記しなければなりません。天国を我々の思いや都合で勝手に考えることは神の主権を侵害する罪であることを示し、神様のさばきの言葉を聴いて悔い改める信仰へと導いておられるのです。
混沌とした現実の社会で主イエスを信じる信仰、それは一日一日を最善に生きること、喜びと希望を持って主に知られるものとなることが求められています。そこに伝道の業が生まれ、奉仕の道が開かれるのです。生きる実感を持ち、今をどう生きるかが大切です。
最後に伝道の書(コヘレト)3章11節を引用します。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。」