【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年12月16日説教要旨
聖書箇所 エレミヤ書1章17節~19節
汝は一人立つべし
瀬戸 毅義
日本のクリスチャン人口は少ないものです。日本の総人口は1億2649万人です(2018年8月1日現在)。文化庁の宗教統計調査(2017年度版)によると、2016年12月31日時点の日本のキリスト教信者の数は191万4196人です。
エレミヤが神から示された預言者の務めを果たした時代は、紀元前587年から626年だといいます。彼は20歳前後に召されて、神から託された預言者の働きをしました。国が滅んだ時は60歳のころでした。エレミヤは、40年間その辛い務めを果たしました。
「エルサレムの滅亡を嘆くエレミヤ」
レンブラント 1630年
国民も王もエレミヤの言うことに従いませんでした。そういう厳しい時代に、ただ一人正しい主張をするということには勇気がいります。エレミヤはそのことを貫いた人でありました。
「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。しかし主は言われます。「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたし(神)がつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。」また次のように励ましてくださいました。「彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」(エレミヤ1:6-8)
これはエレミヤが神様から務めを与えられる時に神が彼に申された言葉です。彼はわずかに20歳前後の一青年でした。それで彼はこう答えたのでした。神様がモーセを召して下さった時も同様のことがありました。(出エジプト記4:10-11)
ヱレミヤは自分が選ばなかった道に行き、自分が定めなかった務めに従事しました。その意味において彼は最も不幸な人でした。彼は自分の意に反して神の預言者とさせられたのです。すべて神に導かれた人(クリスチャンもそうですね)で、自分で自分の生涯を計画してこれに成功した人はいません。エレミヤの自己の計画はことごとく破れました。何度も失望し、自分の一生は無意味に終るのではないかと思いました。
「わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。」(コリント第一4:11―13)これはキリストにその生涯を捧げたパウロの言葉です。わたしたちクリスチャンは神に導かれた生涯を送るのであり、好きなように自分の一生を送るのではありません。
教会の壮年会の来年(2019年)の学びは、矢内原忠雄著『キリスト教入門』(中公文庫)です。今年は(2018年)は内村鑑三の『代表的日本人』(岩波文庫)を学びました。著者の矢内原忠雄は熱心なクリスチャンでした。戦争に対する批判が基で1937年(昭和12年)事実上追放される形で、東京帝国大教授を辞任しました(矢内原忠雄事件)。敗戦後の1945年(昭和20年)に請われて復帰しました。わたくしは大学1,2年の頃、金沢市で親戚の人から誘われて矢内原忠雄の講演を聞いたことがあります。
先生(矢内原忠雄)が散歩の途中よく云ってくれた言葉を思い出す。それは「深い高い信仰を内にもって平几な仕事をしておれ、そして、神が高い仕事を与え給う時は、深く高い信仰に基づく決断を以て単純にこれを受けいれなけなければならない。そのためには家庭生活を単純にしておくことを平常から心掛けておくことだ。なぜなら、神が任務を与え紿う時は、多くの場合収入が以前より低くなるものであるから」という趣旨であった。
人は私(矢内原忠雄)に「君は今何をしているか」とよく聞いてくれます。私は答える言がありません。実のところ私は極めて少数の人々に聖書の講義をしてをるのであります。極めて少数の人に読まれまする「嘉信」と題する小さい聖書研究の雑誌を出しております。かかることはこの世問の人から見るならば、ほんとうに虫のような、無視せらうるべき小さい仕事でありまして、これは職業というに値しないでありましょう。けれども私の五年問してきたことはそれだけなんです。
(藤田若雄著『矢内原忠雄―その信仰と生涯』教文館、1967年)
旧約の預言者も、現代のクリスチャンもよく似ています。自分でその一生を決めるのではありません。周りの人が間違っていれば、一人になっても間違いだと言わなければならない時もあります。神様からクリスチャンとして君(あなた)の責任を果たすようにと求められる時もあります(求められる務めは各自異なるでしょう)。そのときは神様から示された道を、辛くてもエレミヤのように歩まなければなりません。「彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」(エレミヤ1:6-8)
神はエレミヤを励ましてくださいました。私たちも励ましてくださいます。