【聖書箇所】
【説教音声ファイル】
2019年3月24日
聖書箇所 エレミヤ書 29章 10節~14節
一途(いちず)な生涯 ― 国民に希望を与えたエレミヤ
瀬戸 毅義
エレミヤ書を読むときに、「ひたむき」な生涯、或いは「一途な道」を歩きとおした人という言葉が思い浮かぶのです。
ひたむきな人生といえばイチロー選手を思い浮かべるのではないでしょうか。ここ2、3日はずっとイチロー選手のことが新聞でもテレビでも取り上げられていました。3月21日、東京ドームで行なわれた「MLB日本開幕戦」第2戦の試合後、深夜の記者会見で、大リーグ・マリナーズのイチロー外野手は現役引退を発表しました。数万人の観衆の拍手で現役の最後をかざりました。
日本野球界の「伝説」イチロー(45)ほどの「努力の虫」はいない。イチローはひたすら努力してアジア人選手が米大リーグ(MLB)で通用することを示した。日本プロ野球で9シーズンにわたりトップクラスの成績を収めたイチローは2001年に大リーグ入りを宣言した。マッチョなホームランバッターが勢ぞろいする大リーグの中で、イチローはやせ形(身長180センチメートル・体重79キログラム)で決して大柄ではなかった。しかし、失敗するだろうという大方の予想を裏切り、大リーグ1年目に新人王とアメリカン・リーグ最優秀選手賞(MVP)をさらい、野球の本場に衝撃をもたらした。・・・東京ドームの観客にあいさつしようと帽子を脱ぐと、髪に白い物が多く混じっていた。イチローの目には涙が浮かんでいたが、こらえている様子がありありと伝わってきた。報道陣数百人が集まった引退会見で記者が「最低50歳まで現役と公言していたが」と尋ねると、イチローは「それはかなわず、有言不実行の男になってしまったが、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかなという思いもある」と答えた。多くの記者がうなずいた。真の努力の価値を知る選手の引退を惜しむものだった。(朝鮮日報日本語版より)
イチロー選手は大勢の人たちから祝されて引退する幸福な人生だといえるでしょう。
そうでない人生も多いのです。小さな職場での引退は新聞にも載りません。少数の人に見送られてのささやかなものです。家庭の主婦の尊い働きも同じようなものではないでしょうか。自営業の方々にもそういうお祝いは無いのが普通です。私の兄二人も弟も働きずくめの自営業でした。わたくしは、ささやかな人生の退職・引退にもっと心を動かされます。
人には様々の生き方があります。華やかなそれもあれば目立たないそれもあります。エレミヤの一生は後者でした。エレミヤが神から示された預言者の務めを果たした時代は、紀元前587年から626年だといいます。彼は20歳前後に召されて神から託された預言者の働きをしました。
国が滅んだ時は60歳のころでした。エレミヤは、40年間その辛い務めをひたむきに果たしました。その生涯はたたかいと苦難の連続でした。エレミヤの最大の悲しみはエルサレムの滅亡と亡国でした。彼は亡国の民と荒れ果てた国土にあえて残りました。彼はその中でも神の言葉を一途に語りました。
彼の最後も悲しいものでした。異邦の地エジプトにまで引きゆかれたのでした。それも自国の民によってです。そこで彼はおそらく殉教の最後を迎えたと思われます。エレミヤの自分の夢はことごとく破れました。
彼は自分の意に反して神の預言者とさせられたのです。ヱレミヤは自分が選ばなかった道を行き、自分が定めなかった勤めに従事しました。その意味において彼は最もつらい人生をおくりました。どれほど辛いものであっても彼は神から託された任務をはたしました。若い日に神から召しをうけてそれをひたむきにはたしました。そういう意味で彼の人生は人の目に如何に見えようとも幸福であったといえるのではないでしょうか。わたくしたちもつらくとも神が与えてくださった道を走り抜きたいと思います。
次の言葉は、エレミヤが人々に語ったものの一つです。
主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。(エレミヤ29:10-11、14口語訳)
神が私たちにお与えになるのは驚くべき恵みです。私たちが如何に神から離れていても悔い改めて神に帰るなら、神はすべてを回復してくださるという驚くべき言葉です。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない。(エレミヤ31:34)
2千600年も前の言葉です。エレミヤの言葉は、大きな慰めであり励ましです。