2019年6月9日説教要旨
聖書箇所 詩編 84章10~12節
千日にもまさる一日
瀬戸 毅義
今朝はクリスチャンの生活と教会との関わりについて少しなりとお話させていただきます。皆さんの信仰の励ましにしてくださると感謝です。
私が教会に行ったのは1954(昭和31)年の4月ごろであったと思います。石川県金沢市で県立高校の一年でした。いまでもそのころの教会の求道者会の様子を覚えています。牧師は宮地治先生でした。金沢キリスト教会は京都キリスト教会の伝道所でした。我々高校生の生意気な質問にも笑顔で答えられたのは青年の北芳正さん(後牧師になり、最後はバプテスト金沢キリスト教会協力牧師)でした。求道約7ケ月後バプテスマ(洗礼を)受けクリスチャンになりました。12月のクリスマスを前にした頃でした。外は寒かったと思いますがうれしく心は感激でした。それがきっかけとなり西南学院大学の英文科と神学部に学ぶことになりました。その頃(昭和34/1959-昭和41/1966)の西南学院は創立者C.K.ドージャー先生の令夫人ミセスモード、ご令息E.B.ドージャー先生もご健在でした。学院創立の頃に学ばれた方々が何人も学校や教会におられたのです。建物は現在に比べれば貧しいものでしたが、今思えば創立の精神がまだ色濃く恵まれた時代だったと思います。その後南部バプテスト神学校(The Southern Baptist Theological Seminary)に学び、再び母校の西南にもどりました。按手礼(Ordination)はルイビルのクレッセントヒルバプテスト(Crescent Hill Baptist Church, Lousville, Kentucky)教会で授けていただきました。小さな教会の牧師だった私はまだ按手礼を受けていなかったのです。心から感謝しました。
考えてみると学生の時も、結婚のときも、牧師の時も、西南での教員生活の時もいつも教会とつながりがありました。礼拝出席や学Yの交わりなど何らかのつながりがありました。老年の今まで信仰を持ち続けることがでたのは、天の神さまが拙いものの歩みを導いてくださったからです。皆さんもどうぞ嬉しい時にも、辛い時にも、どんな時にも教会とつながってください。教会との関係を絶たないでください。クリスチャン生活のポイントは教会とのつながりです(これが私のお話の結論です)。クリスチャンの一日は、千日にもまさる喜びです。教会での一日も同じではないでしょうか。
牧師であったことは幸いなことでした。牧師はどんなにつらくても教会を欠席したり、礼拝を休んだりできないのです。職場がキリスト教学校だったことも幸いなことでした。私の担当教科は聖書でした。生徒には人気がなく(?)一番軽く見られていたと思います。試験もありませんでした。近頃、別々の病院で女医さんと事務の方から挨拶をいただきました。中学の時に聖書を学んだ方々でした。何十年ぶりの思わぬ出会いに心から感謝しました。
パウロの言葉
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。(コリント第二4:7-8)