聖書箇所:マルコによる福音書3章20節~30節
神の国が近づいたのに、人々は相変わらず貧しく、病気になっても医者の治療も受けられず、律法を守ることのできない人々は「罪人」として社会から排除されていました。イエス様は彼らを憐れまれ、病気の人を癒し、悪霊を追い出されました。群衆はイエス様の業を見て、神が働かれていると称賛しました。それを見たエルサレムの宗教指導者たちは、イエスの業は「ベルゼブル(悪霊の頭)の業だ」と非難します。その問答を記したのが今日のマルコ3章の記事です。
主イエス様が来てくださり、多くの人がその方によって癒されているという主の権威の現実を見ても、自分だけで自己完結し、そこに神の支配が到来していることを無視し続けるのであれば、罪赦されることなく、永遠に罪に支配されることになるのです。この時、ベルゼブルに支配されているのは、イエス様を悪霊呼ばわりしている律法学者たちであったのです。そのように、人間が自ら支配を及ぼそうとするところに悪霊の働きがあるのです。
ベルゼブルの力によって、私たちは、いつも心の内で、何とか、自分の家、自分の支配が及ぶところを建てようとします。私たちが少しでも油断をすると、そのすきを狙って悪霊が入り込みます。しかし、イエス様は、私たちが自分自身で支配しようとしている家の中に押し入ってくださり、戦ってくださるのです。
2014.5.4岩橋隆二牧師説教より