【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年2月9日説教要旨
聖書箇所 エペソ人への手紙1章7節
イエス・キリストの尊い血潮
宣教師 ラス・ボーグ
神の言葉の真実を歌詞にしてある古い讃美歌が私は大好きです。これらの歌詞を歌う時大切な真実を思い起こさせてくれます。例えば、今日私達は「主の流された尊い血しお」という讃美歌を歌いました。その歌詞の内容は、十字架につけられた主イエス・キリストについてです。特に十字架にかけられたイエス・キリストの体から、私達の罪を赦す為に注ぎ出された尊い血潮ということです。歌詞は聖書からの引用が多く、とてもパワフルに心に伝わってきます。2節の「主の流された尊い血潮で罪を赦され、つくり変えられて」と3節の「主の流された尊い血潮でわれらの罪は全てあがなわれ」である歌詞は、エペソ人への手紙1章7節に書いてある真実を思い起こさせてくれます。「わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。」私達クリスチャンは何によって購われ、何によって罪を赦されたのですか?この御言葉が宣言しています。私達はイエスキリストの血によって購われ、罪を赦されました。これは神様の豊かな恵みを示しているのです。
新生讃美歌にあるこの曲は、オリジナルの英語から日本語に訳された曲ですね。作詞者はRobert Lowryというアメリカ人牧師で、もとの歌詞は英語で書かれました。実はこの曲の英語版の歌詞は初め質問から始まっているのです。それは「What can wash away my sin?」。その意味は「何が私の罪を洗い流すことが出来ますか?」という意味で、次の歌詞は、その質問に対する答えを歌っています。「Nothing but the blood of Jesus. 」この言葉の意味は「ただイエスキリストの流された尊い血潮でのみ」という意味です。これははっきりした答えですね。ただ主イエス・キリストの流された尊い血潮でしか、方法がないのです。この讃美歌にあるこの質問は本当に重要な質問だと思います。
「何が私の罪を洗い流すことが出来ますか?」どうして重要なのでしょうか?聖書はこう宣言しています。「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、」。これはローマ人への手紙3章23節。そして、へブル人への手紙9章27節ではこう述べています。「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、」。神の言葉によると、すべての人は罪を犯したので、死後にはその罪に対する裁きを受ける事が定まっています。これは現実なのです。ですから、「何が私の罪を洗い流すことが出来ますか」という質問は非常に大切で考えるべき質問です。その為に、この讃美歌が繰り返しこの質問に対する答えを思い出させてくれます。イエス様の尊い血潮だけなのです。