【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年3月22日説教要旨
聖書箇所 マルコによる福音書 11章15節~18節
神殿清め
梅木 光男
年度末を迎え期待と不安、喜びと悲しみなど複雑な思いが交錯する季節となりました。今日の聖書の箇所は人々が主イエスをローマからの解放者として、また「救い主」として政治的経済的かつ宗教的にも大いに期待している中、ユダヤ人にとって最も重要な過越祭りでのエレサレム神殿にて起こった出来事を取り上げました。主イエスの十字架直前の事件としてすべての福音書は記載しており、それほどインパクトの強い出来事だったと想像されます。
主イエスを民衆は「ホサナ」と歓呼の声をあげてエレサレム入場を歓迎したにも関わらず一転して「十字架につけろ」を叫ぶようになったきっかけともいえる事件です。
神殿を礼拝する神聖な場所から世俗的な金儲けの場所へと変質させたユダヤ人の支配者階級やユダヤ教の関係者及びそれらと結託したユダヤ人の商人たちへの、主イエスの烈しい憤りや怒りが如実に示されています。
当事者であるユダヤ人の商人たちは、最初はおそらくなにが起きているのか全く理解することが出来なかったと思います。イエスの凄まじい迫力に圧倒され呆然と眺めていたことでしょう。しかしイエスに「強盗の巣」呼ばわりされた瞬間に、反イエス感情が一気に拡大していったのです。彼らは律法の掟に従い祭司や旅人たちの便宜を図り、正しいことを行っていると自負していたからです。しかもこのことは祭司やパリサイ派の人々からも支援と理解を得ていたのです。
イエスは先に述べた「いちじくの木」のたとえのように、形式的な律法主義や自分自身の利益を追求するあまり、肝心な目的である「神を崇め讃美する」という信仰を忘れているという警告をこの箇所を通して我々にも示されているのではないでしょうか?