加藤 良子
私は福岡県みやま市に11人家族6人兄弟の5番目として生まれました。幼い頃は、人の良く集まるにぎやかな家でしたので、自由に伸び伸びと育てられたようにおもいます。
親戚にクリスチャンのおじさんがおりまして年に1,2回訪ねて来られるのですが、私たち兄弟が居るところに来ては、いつも「イエス様がこんなことをして下さったよ」と証をされるのです。すると途中で皆どこかへ行ってしまうので申し訳なく思い、私一人イエス様の話をよく聞いたものです。おじさんは当時公立中学校の理科の教師をしておられましたが、定年退職後九州バプテスト神学校に行って牧師となられました。その時その学校で教鞭をとっておられたのが瀬戸先生で、おじさんは生徒であったと聞いて驚きました。
信仰に入ったのは結婚してからです。
こんな私が教会に行ってよいものかと思いながらも、先行きの不安や自分ではどうにもならない問題があり崖っ縁にいるような心境でしたので、人の生きる正しい道、教えがあるのではないかと考えて、鳥栖バプテスト教会に電話をしまして水曜日の祈祷会に出かけて行くようになりました。
そんなある晩のこと、主人がおやつを食べていたので、心のなかで「やせないといけないのに又食べている」とちょっとだけ思ったのです。すると「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。」(マタイ7章3節、4節)の文章が心に鋭く響いたのです。一瞬のことでしたが、神様に怒られたという思いと、本物の神様だという感動、そしてこれで助かったという安堵でいっぱいになりました。
それから間もなくしてバプテスマ(洗礼)を受けました。それは1998年3月29日でした。授けてくださったのは鳥栖教会青木卓也牧師でした。
その後は心も軽く孤独とはおさらばで、いつも讃美していました。「お母さん、ここはアパート、隣に聞こえるよ」と子供から注意されても歌っていました。その後いくつかの教会にお世話になりましたが、神様はいつも助けてくださるので、ますます依り頼むようになっていきました。
信仰生活が長くなるにしたがって、自分がどうしようもない者だとだんだんわかるようになってきましたけれど、自分に失望しても絶望することはありませんでした。倒れないように支えていて下さる神様なので、安心して、ありのままの自分でいることができています。
「イエス様は神様だから、私たちが仕えないといけないのに、イエス様の方が私たちに仕えて下さるとよ、こんな神様はいないよ」と以前聞いたことがありますが、本当にそうだなあと思います。私と共に神さまがいてくださいます。クリスチャンは神様が共にいてくださるのです。そして礼拝の只中にも神さまが豊かに臨在されておられることをいつも思います。
そろそろ落ち着きたいと思うようになり、バプテストが好きなのでこの教会にお伺いしました。2月に入って「神様、私はどこに行ったらよいかわかりません。どうか神さまの御心の教会に入れてくださいませんでしょうか」と祈りました。すると2月16日の朝、瀬戸牧師より声をかけていただき、教会員として受け入れて下さいとお願いした次第です。
「人は価値があるから生きるのではありません。神様が私たちに下さった、たった一つしかない命を、誰も代わってあげることのできないこの人生を、大切に生きるところに価値があるのです」とある本に書かれていました。
「神様、これまでよく生かして下さいました。有難うございました。残りの人生、これからも良き道に導いてください」と祈りながら、皆様の信仰に習い、教えていただきながら歩んで行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
最後に私の好きな聖書の言葉を読ませていただきます。
「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。
わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」
(イザヤ書46章3,4節)
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)