【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年1月17日説教要旨
聖書箇所 Iコリント9章19~23節
パウロに倣(なら)う:織田楢次の人と信仰
木村 公一
今日の説教は織田楢次(おだ・ならじ)という伝道者の生涯と信仰を学んで、そこから、神のいのちの御言葉を頂きます。わたしがこの世的には有名でない伝道者に着目するのは、現代のキリスト教会のあるべき姿のひとつを、学ぶことができるからです。
織田楢次は1908(明治42年)、熱心な仏教徒の両親のもとで大阪で生まれ、兵庫県の芦屋で育ちました。父は土建業で財産を築き、自分で寄進してお寺を一つ建て、自分の六番目の息子をそこの住職にしたほどでした。楢次はこのように裕福で封建的な家庭の九番目の息子として生まれました。
11歳の時に父が亡くなると、その遺言通り、彼は寺に入り、寺から学校に通わせられました。彼は旧制中学を卒業した17歳の時についに寺を飛び出し、神戸の町をさ迷っていたとき、路傍伝道をしていた若い人々に教会に導かれました。洗礼を受けてキリスト者になった楢次は、牧師になることを決意し、当時神戸の御影(みかげ)にあった保守的な神学校である聖書学舎(現在の関西聖書神学校)に入学しました。
朝鮮伝道を目指して朝鮮半島へ
この神学校では、沢村五郎という牧師の指導の下で、「聖霊の内住」によって「自我が焚殺(たくさつ)」される経験をしました。楢次はこの関西聖書神学校時代に、金という神戸高等商業学校(現在の神戸大学)で学んでいた韓国人の留学生と出会いました。
・・・「こりゃ日本で一番大きな問題は、朝鮮問題やと思いました」。1928(昭和3年)、まだ若く経験もない楢次は、沢村校長をはじめ、多くの人が反対するのを押し切って、韓国人伝道をめざして、神戸から韓国に出発しました。・・・