【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年3月21日説教要旨
ルカによる福音書 7:50
恩寵の宗教
瀬戸 毅義
このシモンという人は、イエスを食事に招いたほどですから、パリサイ人の中ではイエスに好意を寄せていたのでしょう。イエスは宗派にこだわりません。ここに一人の罪の女が登場します。罪の悔恨からでしょうか、泣きながらイエスの足に何度も口づけし、高価な香油を塗りました。周りの人たちはびっくりしたことでしょう。このようなことは当時のユダヤでは恥ずかしいことでした。
この女性の素性もわからないようなイエスは、真の預言者ではなく偽者だとシモンは思いました。イエスはお金を借りた人のたとえ話をしました。一人は500デナリ、一人は50デナリでした。当時の一日分の給料が1デナリでした。現在なら500万円と50万円位でしょうか。二人は返すことができませんでしたから、金貸しは二人の借金を帳消しにしました。
二人のうち、どちらがより感謝するだろうか?イエスはシモンにたずねます。たとえ話の後、イエスは女に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。英訳では普通“Your faith has saved you; go in peace.”ですが、“Your trust has saved you; go in peace.”としている訳があります(Complete Jewish Bible)。原語のπίστιςは信頼(trust)の意味ですから、こういう風に訳することもできるのです。
ルカ7章36-50の女性の名前はわかりません。8章2節にマグダラと呼ばれるマリヤ(口語訳/新共同訳マリア)が記されていますが、ここの女性ではありません。
聖書では、その町(おそらくカペナウム)で罪の女であったものが(7:36)と過去形になっています。罪の女を元売春婦であったろうと理解する学者が多いようです。イエス・キリストはこの女性の過去を問わず、彼女の現在を受け入れます。
イエスに対する彼女の行いが彼女を救ったのではありません。彼女の心からのイエス・キリストへの信頼により彼女は救われました。
宣教の後で讃美歌をうたいますが、私は教団讃美歌262番の方がすきなのです。参考までに教団讃美歌262番の1節と2節を読みます。
1.十字架のもとぞいと安けき 神の義と愛の会えるところ
あらし吹く時の巌のかげ 荒野の中なるわが隠れ家
2.十字架の上にわれは仰ぐ わがため悩める神の御子を
妙にも尊き神の愛よ そこいも知られぬ人の罪よ
この歌には十字架の意味がよく表現されています。十字架はまさに神の義と愛の会えるところ、神の義と愛が交わるところです。
「血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない」(へブル9:22)と聖書にあります。イエス・キリストは私たちの罪を負われて十字架の上で尊い贖いの血を流してくださいました。その結果私たちの罪過の責任は免除され、完全なる罪のゆるしをいただくことができます。十字架上に神の義はまっとうされ、神の愛はあふれました。
いまはレント(四旬節、受難節)の期間ですから、主の贖いの死を覚えます。レントとは正確には復活日の前の6主日を除いた40日間のことをいいます。
イエス・キリストの許しの背後に、イエス・キリストの贖罪があります。
キリストを信じることは、信仰100%行い0%です。言葉を換えれば、キリスト教は全信無行の宗教です。