【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年9月12日説教要旨
聖書箇所 聖書箇所:列王記下18:29~30
信仰告白の必要性
福岡新生キリスト教会
竹田 浩
「ヒゼキヤがお前たちに主は必ず我々を救い出して下さる。決してこの都がアッシリアの王の手に渡される事はないと言って、主に寄り頼ませようとするが、そうさせてはならない。」(列王記下 18: 30)
今日は連盟の聖書日課に従って、ユダの王、ヒゼキヤの信仰から学んでみたいと思います。彼は歴代の王の中でも賢王中の賢王でした。その治世の第14年に大国アッシリアの軍隊が押し寄せて来ました。そして、エルサレム以外の全ての町々村々を攻略し、後に残ったエルサレムを50万人の大軍をもって包囲していました。全く風前の灯といった現実の中でヒゼキヤは硬く信仰に立って主の勝利を宣言しました。その宣言に対して敵の将軍が嘲りながら以下の様に言いました。「唯舌先だけの言葉が戦略であり戦力であると言うのか」。彼がこの様な状況下にあっても信仰告白をしたことは、とても重要な事なのです。確かに敵の目から見たら、信仰告白等口先だけの言葉に過ぎず、何の力もない様に思われます。しかし、信仰を告白する事には大きな力があります。
先ず第一番目に、その告白された言葉は私達の信仰を強めると言うことです。マルコ5:28で12年間、出血の止まらない女がイエス様に癒して頂く前に「この方の服にでも触れれば、癒して頂けると言い続けていた」と記されています。私達の口から出る信仰の告白を聞いているのは,ほかならぬ、私自身なのです。告白する時に私自身の信仰が建て上げられて行くのです。有名なパスカルのパンセの中で「俺は馬鹿だと自分に度々言い聞かせると、そう思い込むように出来ている。何故なら人間は一人で自分と内的な会話をするからである。だから、それを良く調節する事が大切である」。と言っています。私が信仰を告白する時、私の信仰はその言葉によって建て上げられていくのです。ですから、決して不信仰な事を口にしてはなりません。
第二番目に口から発せられた言葉には事柄を起こしていく力があります。ペテロは神殿の門の傍に置かれていた足なえの男に「ナザレ人、イエスキリストの名によって、立ち上がり歩きなさい」と命令しました。すると、彼は立ち上がって歩いたと言うのです。あの有名なインドへの宣教師スタンレイ・ジョーンズは不思議な体験をしたことを証しています。彼が89歳の時、中風で倒れて数ヶ月間ベッドから起き上がれず、話す事も出来なくなりました。その時に、彼は看護師達にこう頼みました。朝でも昼でも何時でも自分を見たら、「ナザレ人イエスキリスト御名によって、起き上がって歩きなさい」と言って下さいと頼みました。それで信仰のない看護師達も仕方なくその命令に従って何ヶ月間もその様に告白し続けたのです。子の事を聞くとだれもが笑いました。
けれども、89際のスタンレイ・ジョーンズは数ヶ月のこの聖書の言葉の宣言を通して、完全に癒されて立ち上がったのです。スタンレイ・ジョーンズ師はアシュラム運動を起こした有名な宣教師です。彼は神の言葉のもっている力を知っていたのです。私達も声をだして神の言葉を告白し、宣言して信仰の勝利を勝ち取りたいものです。