【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年11月28日説教要旨
マタイによる福音書2章1~7節
救い主を求めて
ー2つの物語を通して御子の誕生と生涯を想うー
京都洛西教会
山田 光道
今日の聖日より12月24日までのクリスマスを迎えるアドヴェントの時が開始します。この日々を神に招かれて礼拝に集う者は、与えられたみ言葉を大切に受け止めて、その中心のできごとであるクリスマスを迎えたいものです。そして厳しい私たちを取り巻く環境の中にあって、礼拝とは神が人間として誕生されたということの深い意味を共にしたいと願います。
さて、今日取り上げる二つの物語とは、一つは今から125年前に書かれたクリスマスの物語としてはあまりにも有名な米国のヘンリ・ヴァン・ダイクの「もう一人の博士」です。救い主を拝むために旅立った主人公アルタバンは人生の最後が近づいた時、十字架にかかられたあの救い主イエス・キリストにやっと出会い、直接キリストから彼の人生の30年間の旅の、苦難の人生の意味を告げ知らされます。もう一つは、ほとんど知られていない物語です。亀井勝一郎という文芸評論家として著名な活動をした人物が1940年33歳の時に書いた「捨身飼虎」という小説です。わが子の突然の死の意味とそれが人々と自分もたらしたものを残された人生をかけて探す父親の物語です。
二つの物語に共通することは、人生のそこで起こる出来事の意味を求めての、それは人生の意味そのものを求めてとでも言えるようなものを求めての旅だったということでした。一つは誕生を通して、もう一つは死を通してでしたが、二人の主人公は苦難を経て、この世での生涯の最後にその答えを見出しました。見出したというより与えられたと言った方がよいでしょう。そしてその答えは最初から用意されていたものでした。聖書は言います。「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。これは神われらとともにいますという意味である。」(マタイ1:23)あの「青い鳥」の物語と一緒です。最初から私のそばに備えられていたのです。