【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年12月12日説教要旨
聖書箇所 詩篇139篇1~12節
夜も光がわたしを照らし出す
西南大学神学部
才藤千津子
旧約聖書の詩編には、苦難の中にあったイスラエルの民が長い間様々に歌い継いで行った、神への嘆きや願い、賛美や感謝の祈り、人生の知恵や教訓をまとめた宗教詩が、150篇収められています。それらは、人々から、あるいは共同体から、神に向けられた言葉であり、神への呼びかけであり、祈りの言葉です。
詩編の中には、苦しみや悲しみを経験した人々の嘆きや悲しみの声がたくさん描き出されています。イスラエルの信仰共同体においては、喜びのときも苦難のときも共に歩んでくださる神への信頼のもと、自らの「生の全体」の叫びを神の御前にさらけ出すことこそが、信仰であり賛美であると考えられていたからです。この意味で詩篇は、「人生の苦難に際して神と向き合う際の教書」と呼ばれることもあります。
本日取り上げます詩篇139編の作者も、苦難の中にある人でした。この作品は平和な状況で描かれたのではありません。なぜなら、この箇所に続く詩篇139:19-22には、主に『逆らう者』による詩人の苦しみが表現されているからです。そしてその中でもなお、神を恋い慕い求める詩編詩人の苦悩と信仰への希望を歌っています。
この詩篇は、「主よ。」という呼びかけから始まります。詩人は神と人との関係を「私」と「あなた」という関係でとらえ、自分の人生に深く関わっておられる創造主なる神に「主よ」「神よ」と親しく呼びかけます。私の魂はあなた、つまり神を求めています。神ご自身が「くめども尽きない生ける水の源」(エレミヤ17:13)であります。そのようないのちの神に、私の魂は飢え渇いているのです。
私たちの人生には、誰しも、方向が見えずに苦しむ、人生の不確かさに苦しむ時があります。自分の力では人生をコントロールできなくなった時、わたしたちはしばしばどうして良いかわかりません。そして、言葉を失うのです。昨年以来、私たちは、新型コロナウイルス感染拡大の中で、どうして良いかわからない、不安な日々を過ごしてきました。まさに、これこそ詩篇詩人が言う「闇」「夜」の季節だと感じてきた方も多かったことでしょう。
私たちは今、おりしも、アドベントの季節、一年で夜が一番長い時期を過ごしています。人々は、光の到来を心から待ち望みます。今朝は、詩篇詩人が、
「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」(詩篇130篇11節)
と歌ったことの意味を考えてみたいと思います。