【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年1月16日説教要旨
聖書箇所 詩篇143編7~12節
いつくしみによって
直方バプテスト教会
宗広一美
今の日本と言いますか、世界の状況は、先行きの見えない不安が渦巻いているようです。このコロナの感染拡大が、2年経っても収まるようではないからです。このような状況に対して<みことば>は、何と言っているのか、気になります。今日与えられています<みことば>から聞いて行きたいと思います。
今日与えられています<みことば>は、詩篇143編です。この詩篇は、1節~6節までの神様への訴えを7節~12節で再び繰り返しています。どうかわたしの訴えを聞いて下さいと、再三必死で訴えているのが、この詩篇です。
そしてこの詩篇作者の執拗な訴えの中心は、9節の”主よ、わたしを敵から助け出して下さい。“ということに絞られると思います。しかしここで注意すべきことがあります。古代人においては、敵を自分の命を脅かす他の人と表現します。しかし、ここの敵は、個人的他の人を意味するのではなく、むしろ神の慈しみに対抗する悪を意味しているようです。なぜなら、作者は、“生ける者は、ひとりもみ前に義とされない・・”(詩篇143:2)と言っているからです。作者は、自分は神様の義に値する者ではないことを知っているようです。つまりは、自分の中に神様に敵対する悪があることを知っているということです。そしてこの作者は、自力でこの悪に対処することが出来ないこと、すなわち自力での救いはないことも知っています。それ故に、神様の慈しみに依りすがっています。
その彼が乞い求め、すがりついた神様の慈しみは、何だったでしょうか。イエス様がその慈しみを見事に現して下さいました。今、世界は新型コロナの感染拡大の先の見えない状況の中に置かれています。まさにこのようなときこそ、イエス様が、十字架復活で示された先立つ愛が必要ではないでしょうか。その先立つ愛の込められた戒め「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」には、人類を救う命があると思えるのです。