【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年4月3日説教要旨
聖書箇所 創世記28章10節~16節
まことに主がおられるのに
宗広 一美
今朝与えられています聖書箇所は、創世記28章10節~16節です。ヤコブが、兄エサウの怒りを買い、殺される恐れから逃げ出して行く途中の話です。ヤコブは、一人逃げ出し、日が暮れたので、たどり着いたところで野宿しました。そしてそこで夢を見たのでした。今日与えられている<みことば>は、夢の話と言っていいくらいです。その中心は、主の語られた祝福の言葉であり、その祝福を行なうという約束の言葉でした。兄を騙して逃げ出したヤコブでしたが、逃走の途中で見せられた夢は、彼の心を捕らえたようです。ヤコブは、彼の見せられた夢から神様の祝福とその祝福を実行するという約束の言葉を信頼しました。彼は言いました。“まことに主がこの所におられたのに、わたしは知らなかった。”と。恐れの中で逃げ出して来た彼にとって、神様への信頼、すなわち信仰が与えられた瞬間が、ここに描かれています。
しかしご承知のように、これは信仰の始まりであって、信仰の成長は、これからでした。なぜなら、彼は、逃げ込んだ母リベカの兄ラバンのところで、騙され難題を吹っかけられながらも20年間仕えることになって行くからです。(創世記31:41) そして先立つ主の<みことば>によって故郷に戻って来るのですが、兄エサウとの再会を恐れて、主と取っ組み合いをします。“祝福を下さい。”(創世記32:24~26)と。兄を騙して怒らせた彼ですから、兄に会わせる顔など何年経ってもありませんでした。出来ることなら、このまま兄と会わないで済んで欲しかったのだと思います。しかし、主の祝福の約束の言葉は、ヤコブに再会を求めます。ヤコブの信仰の成長が促されています。
今朝与えられました<みことば>には、さらなる信仰へと心を開かせるものがあるように私には思われます。「まことに主がこのところにおられるのに、わたしは知らなかった。」です。主からの祝福の約束の<みことば>は、人の心を捕らえる力があります。私たちの信仰は、イエス様の十字架復活の愛によって与えられました。これが、私たちの心を捕らえています。