【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年10月23日説教要約
聖書箇所 イザヤ書55:8~13
約束のみことば
宗広 一美
今朝、与えられていますイザヤ書は、一般に1章から39章を紀元前8世紀頃の預言者の働きとして第一イザヤと読んでいます。40章から55章を紀元前6世紀頃、すなわちバビロン捕囚末期の無名の預言者の働きとして第二イザヤと読んでいます。そして56章から66章を紀元前6世紀から5世紀のバビロン捕囚後の無名の預言者の働きとして第三イザヤと呼んでいます。この分類には、議論がありますが、私は、この分類からイザヤ書を見ています。そこで今日与えられています55章は、バビロン捕囚末期の中にあって与えられた救いの約束と解釈しています。
8節,9節“わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地より高いように、わが道はあなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いより高い。”とあります。
ここの<みことば>は、同じ時期に語られたイザヤ53章の<みことば>を思い起こさせます。いわく“だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕はだれに現れたか、・・彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、我々の慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔を覆って忌み嫌われるもののように、彼は侮られた。我々も彼を尊ばなかった。まことに彼は我々の病を負い、我々の悲しみを担った。しかるに、われわれは思った。彼は打たれ、神に叩かれ、苦しめられたのだと。しかし彼は我々のとがのために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれは癒されたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主は我々すべての者の不義を彼の上に置かれた。・・”(イザヤ53:1~6)と。ここの<みことば>は、イエス様の十字架復活の<みことば>とぴったり重なります。
そして糸杉とミルトスとは、肥沃の象徴です。また茨とおどろとは、荒れ野の象徴です。その糸杉が茨に代わり、ミルトスがおどろに代わって生えるとは、十字架復活の再生が語られています。すなわち人々が思いもしなかった、想像も出来なかった約束の<みことば>です。