【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年12月4日説教要旨
聖書箇所 テサロニケ第一 5:23-24
12月に思う―降誕と再臨
瀬戸 毅義
12月は年の終わりである。また感謝の月でもある。人生にも終わりがある。事がうまく運んだ時は神に感謝する。うまく運ばなかった時は神によりすがるのである。満足の時は傲慢にならないようにと謙虚になる必要がある。罪に悩む時はイエスの十字架を仰ぎ力をいただくのである。失敗も成功も後悔も満足も全部が私たちを神に結びつけるバンドである。小さい自分ばかりを見つめてはならない。自分の価値を決めてくださるのは神であるから。自分は価値なく小であると思っても神の憐みにより神の子とされるのである。常に救いの恩恵を忘れないことが重要である。私たちの信仰の秘訣はここにあると思う。
今朝読んでいただいた手紙(聖書テサロニケ第一 5:23-24)は西暦51年にパウロにより記されたものである。この時代はキリスト信徒にたいする厳しい弾圧は普通だった。しかもテサロニケの教会は若く、この手紙が書かれるわずか3,4ヶ月前にできたばかりだった。迫害と不安のなかにある信徒をパウロは、主は最後までかれらを守り導かれると励ましている。12月はイエスの降誕を祝う月であるがキリスト教は降誕だけで終わるのではない。キリストの十字架による罪の贖い、復活、救いの完成である再臨へと続くのである。
「あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます」(5:24)は不安の中にある信徒に対するパウロの励ましの言葉である。また私たちへの慰めであり励ましである。
聖書に「地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)とある。平和は神が選ばれた人の心の中にある。どの国の指導者も国民もまことの神を信じて歩まねばならない。そこに平和が生まれる。神を知らないところに平和はない。