【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年12月18日説教要旨
コリント人への第二の手紙 第6章1節-10節
宣教師の働きと私たち
山田 光道
今朝の聖句は、キリスト教史上最初の「宣教師」と呼んでも差し支えない、キリストの福音伝道にその生涯の後半をかけたパウロの伝道の旅がいかに困難なものであるかを示しているところでもあります。そして伝道の旅の困難さを指し示すと同時にキリストにとらえられた人つまり「神の僕」(4節)の姿が述べられています。その姿こそが「真実の人間の姿」だと言うのです。その姿とは、「たとえ人にほめられたとしても悪評を受けても自分自身の姿を表している」(8節)というのです。ここには神から遣わされた者の使命感にみちた強烈な自己意識が存在します。
パウロは続けます。「わたしたちは一見して人を惑わしているようであるが、真実であり、人からは知られていないようであるが、はっきりと認識され、人の心に刻まれている。苦難の中で、死にかかっているようであるがしっかりと生きている、生かされている。人の目には悲しんでいるように見えるが、しっかりと生かされており、命をいただいて生きており、何も持たないようであるが、多くの人をその豊かさで富ませている。それは遣わされた神様からすべてのものを与えられているからである」と。ここで言う真実の人の姿とは、パウロが言っている「内なる人」(コリント二4:16)のことであり、「私たちはこの宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである」(コリント二4:7)を根拠としているものです。
クリスマスを迎えようとするアドヴェントの時、神様より送られ、御子の誕生を知らせた天使たち。幾多の宣教師たちは、この天使たちをみ言葉を異国の地で宣べ伝えるというところで直接受け継いだ方々でした。
週毎の礼拝は、一番最初のイエス・キリストの十字架と復活の出来事に立ち戻る行為であります。その行為を土台に、神より下ったできごとの本質をもう一度体感するのがクリスマスなのです。神より与えられる真実の人間の姿を着て、この時を迎えたいものです。