【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年1月1日説教要旨
聖書箇所 詩篇90章1節~12節
新しい年を迎えて
梅木 光男
2023年がスタートしました。昨年色々なことが起こりコロナ感染も3年が経過しようとしています。世界情勢や社会経済活動が混沌としている中でいかに生きるべきかが問われています。
本日の聖書箇所は詩篇90章から神の永遠性と人間の儚い一生を対比して考えたいと思います。天地創造の昔から永遠から永遠の未来まで存在される神を賛美するとともに人生のはかなさを「草」や「塵」に例えて人間の有限性を絵画的に描かれています。当時の常識では若くして死ぬことは神の罰であり、逆に義人は高齢に達すると考えられていました。70年80年は平均的な寿命ではなく、長寿の限界を皮肉を含んで暗示しています。長寿は幸福の機会を増すばかりだけではなく、一方で労苦をも増すからです。
罪に対する神の怒りの厳しさを知って、畏れと悔い改め、信頼の中で生きることが求められています。自分に残された生涯を数えることは誰にも出来ません。神がすべてを支配されていることを知って、謙虚さと罪の悔い改めのなかで神により頼む人生こそ恵みと祝福があります。
神の永遠を知る中で人間の命は弱く脆いものであり、我々に「何のために生きるか」という命題が突き付けられています。
この視点は神の怒りと憤りをどうすれば恵みの祝福に変えることができるかというのが本日の主題です。
人間の幸福それは名誉、社会的地位、財産、権威、家族の繁栄などの地上の尺度としての考え方は労苦と虚しさだけが残ります。また人生はただ長寿という視点ではなく、一年一年の過ごし方、主に生かされている実感が重要ではないでしょうか。
人の命の豊かさはその長さではなく、その内容であるといえます。まさに知恵のはじめは神への畏怖です。今年もそれぞれ与えられた時と場所で喜びと平安と希望をもって一日一日を過ごしましょう!