【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年1月8日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書16章24節~26節
十字架を負って従う道
竹田 浩
福岡新生キリスト教会 協働牧師
わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさいマタイ16:24
新しい年、2023年を迎え、この年を信仰勝利の年とするために、み言葉に聞きたいと思います。
イエス様が、弟子達に初めてご自分の十字架、復活について語られた時、その真意を理解することが出来ず、ペテロが「主よ、とんでもないことです」と発言してイエス様からお𠮟りをうけました。其の後、イエス様は弟子たちに対して「誰でもわたしに従ってきたいと思うものは、自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしに従って来なさいと申されました。」ここでイエス様は弟子としての一番大事なことをお語りになりました。私たちが信仰生活を勝利するためには、このみ言葉にしっかり従わなければなりません。
1,イエス様に従う道の第一番目は主が示された使命の道を歩く事です。主から示された道を歩くとき、当然十字架が私達の背中に乗せられてきます。私もクリスチャンになって伝道者の道を歩こうとしたときに、牧師となるように導かれました。アメリカの神学校を卒業するとき、博士号をとって学者になる道も開かれていました。しかし、その道を歩こうとしたときイエス様から厳しい𠮟責のお言葉をいただきました。「あなたは学者の道をあるいてはならない。日本に帰って一伝道者として歩みを始めなさい」と申されました。帰国していよいよ開拓伝道を始めることになりましたが、会堂も牧師館も給料もなく、全くゼロからの開拓伝道をすることになりました。大変困難な道を歩かなければなりませんでした。しかし、このことを通してわたしはイエス様と深く交わるようになり、力を受けて伝道生活を続ける事ができました。貧しい中に育った子供たちもみな、献身者として成長しました。これは、十字架を背負って歩いた者に対する主の大きな報いでした。私達は今年もそれぞれがイエス様のくださる十字架をしっかり背負いながら従って本当に勝利を受けとりたいものです。
2,私たちの背負うべき第二番目の十字架は隣人の罪を担うという事です。有名なボン・フェッフアーは「キリストに従う」という本の中でこのように言ってます。「キリスト者はほかの人間に代わって、罪と負い目を身に引き受けるものとなる。もし、彼自身がすべての罪を背負いたもうお方によって支えらえなかったならば、彼は罪の重荷におしひしがれてしまうであろう」。私達人間は隣人との関係の中で生かされています。夫婦、親子、兄弟姉妹、共に生きるということは、相手の罪を担いあって生きるということに他なりません。ボン・フェッフアは以下の様に言います。「成就されるべきキリストの律法は十字架を負うという事である」。キリストの律法とは「汝ら 互いに相愛せよ」と言う事ですが、これは隣人の罪を十字架として背負う事です。この時に初めて聖書のいう愛に生きた事になります。キリストがわたしの罪を背負ってくださったように、私の隣人の罪を背負って生きるところにクリスチャンの生活があります。
今年もしっかりと隣人の罪を背負いながら、愛の道を歩き、信仰生活に勝利したいものです。