証「ホームレス支援、支えられた22年間」
2023年2月19日
瀬戸 紀子
2001年から今年まで22年間、ホームレス支援に携わってきました。ここまで続けて来られたのは、神様のお導きと配慮があったことはもちろんですが、とりわけ、二人の方の支えが大きかったと感じます。その一人は穴井曜子さんです。
穴井さんとは1998年頃、私から誘ってホームレス支援の為に一緒に「衣類バンク」に参加した仲間でした。2007年に「衣類バンク」が、組織を整えて「美野島めぐみの家」という新しい名前で再スタートすることになり、私が代表になった時、穴井さんは「あなたなら大丈夫よ。がんばりなさい」と何度も励ましてくださいました。また70歳になった時、「いつまでしたらいいだろうか?」というと「75歳までがんばりなさい。あなたなら大丈夫よ」と言ってくれました。その穴井さんはもう4年前に亡くなってしまいました。そして私はもうすぐ79歳、彼女との約束の時はとっくに過ぎてしまいました。
もう一人は私の夫です。元々、夫が通勤の途中、天神にたくさんのホームレスを見かけていたので、朝お弁当を作るために炊いた残りのご飯を「おにぎりにしてほしい」といってよく持っていきました。夫は、ホームレスの一人と一緒に公園でご飯を食べたりするようになりましたが、その人が病気になって入院して、夫に「退院したら瀬戸さんの町に住みたい」と言っていましたが、がんで亡くなってしまわれました。その後も、通勤の途中、夫は時折、天神に衣類を持っていくことがあり、近所の人達にも声をかけて衣類を集めました。しかしたくさん集まり過ぎたので、美野島司牧センターに持って行ってほしいと夫から言われ、初めて司牧センターに行きました。火曜日に衣類バンクがあってホームレスの方々が来られるというので、穴井さんを誘って行きました。これが美野島司牧センターでホームレス支援に関わる最初のきっかけでした。資金もなく最初はパンの耳とコーヒーの提供だけでしたが、段々と一般の人に知られるようになりました。
2008年リーマンショックでたくさんの若者が派遣切りに会い、テレビや新聞で報道され、炊き出しにもたくさん人々がやってきました。それ以降「美野島めぐみの家」が一般の方から知られるようになりました。それを機にホームレスから社会復帰する人がたくさん出てきました。しかし社会復帰したものの、やはり生活保護を1ケ月で上手くやりくりすることが出来ず、炊き出しにたくさんの生活保護受給者がやってきました。そしてホームレスの人達より、生活保護を受けている人の方が先に割り込みをして、食べ物をもらったりするのに困りました。そこでホームレスの人たちだけに利用証を作ることにしました。私達はただ単にホームレスの人を優先して物を差し上げるために利用証を作りましたが、利用証の効果はそれ以上でした。結果として、ホームレスの方々の身分証明書のような役割を果たすことになっていきました。
2011年6月に利用証の発行開始し、その半年後、最初に警察から夜10時頃に電話があって「天神でホームレスが亡くなったので確認してほしい」と言われました。帰ってくるのは多分12時を過ぎるので夫に「一緒に行ってほしい」というと快く「一緒に行こう」と言ってくれました。警察では霊安室ではなく、ガレージの中に机をいくつか集めて、裸の上と下にブルーシートのようなものを掛けただけでした。傍らに、利用証といっしょに私達が差し上げたパンや薬等が乱雑に置いてありました。22年間の中でその出来事が、一番強烈に目に焼き付いています。この72歳の田中さんのおじいちゃんの最後の姿は今でもはっきりおぼえています。本当に悲しい出来事でした。天神のトイレに倒れて亡くなっていたのが発見され、めぐみの家の利用証を見た警察から、私のところに連絡がきたのでした。
私達が作った利用証は、ホームレスの人々の大切な身分証にもなっていたのです。「それまでは社会の中からはずれて、どこにも属さない状態だったのが、これからは「美野島めぐみの家」の一員になれたと思って本当にうれしかった。」とホームレスの人達から後に聞きました。
それからもホームレスの最後の姿を病院で警察官立ち合いの元に何人も見てきました。病院ではきれいにしてベッドに横たわっていました。
めぐみの家に来るホームレスの方が病気になって、病院に連れて行かなければならないことも何度もありました。帰宅は夜8時頃になることも度々でした。夫に電話をかけて帰りが遅くなることを告げると「電話がないと、車の事故に遭ったのかと心配するから、電話してくれればいい。きりがつくまでそばにいてあげなさい」と言ってくれました。それからも度々、夜にスーパーマーケットからの万引きや警察から防犯登録の自転車に乗っていたとのことで身元引受人や遺体の身元確認等で電話がかかってきました。その時も「一緒に行こうか?」と言ってくれましたが、「一人で大丈夫」と言うと「気を付けていっていらいらっしゃい」といつも夫は気持ちよく送り出してくれました。私が22年間、どのような場面に遭遇した時も、いつも陰で協力してくれた夫の支えがあったことにも感謝しています。
私に踏み出す勇気と励ましをくださり天に召された穴井曜子さんに感謝しています。又、私のような者をいつも励まし、いっしょに働いてくださった大勢の仲間たちに感謝しています。そしてそれらすべての人を神様が遣わして支えて下さったので、 皆で力をあわせて22年美野島めぐみの家にかかわることができました。