【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年9月3日説教要旨
聖書箇所 エゼキエル書37章1-14節
枯れた骨の復活
諸岡 寛
今朝の聖書箇所は37章「枯れた骨の復活」です。エゼキエルは、幻の中で霊に導かれて谷に満ちるおびただしい骨を目撃します。「それらは甚だしく枯れていた」(2節) のでした。
エゼキエルは、捨てられ放置された骨の多さと同時に、それらがひどく枯れていることに驚いています。これらが生きて動いていたと想像出来ない程に、骨はひからびていたのでした。その時彼は主の声を聞きます。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」彼は答えます。「主なる神よ、あなたのみがご存じです」と。(3節) 即ち、彼は「あなたのみ心が、最善が、これらの骨の上に成っていくことを私は信じています」と答えたのでした。すると5~8節にかけて、その枯れた骨は生き返っていくのです。「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしはお前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知る様になる。」「見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。わたしが見ていると、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆」この様に、骨格が形作られて筋と肉が生じ、皮膚で覆われて一人の人の形が作られるまでの様子が、映像のように語られています。そして、主は息を吹き込まれることによって、生き返った人となるのです。
創世記2章7節 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」と。ゴッドなる神から見れば、私たちは土くれで作られた人形に過ぎません。私たちは神の作品です。私たちが意思を持ち動くことが出来るのは、ゴッドなる神の息がかかっていることを確信するのです。こうして私たちは神の息により、心臓が動くことにより、血液が全身に流れ、呼吸を繰り返しているからこそ、生きて行くことが出来るのです。
ドライボーンズの曲をご存知ですか。黒人霊歌風のコミカルなコーラス曲です。アニメでは骨が軽快に踊りまくります。ボーンボーンと聞くに連れて、何故か楽しくなります。歌詞の冒頭は、♪エゼキエルは乾いた骨をつなげた、乾いた骨の谷で、さあ主のみ言葉を仰ごう!と。骨格をつなげては外しを繰り返すの歌詞で、メロディも実に単調ですが、ぐっと来るのは何故でしょうか。人間の骨ですから、不思議な霊感を感じるからです。
次月のハロウィーンに備え百均などでは、骨の人形やお面が出回っています。また小学校の頃を思い出すと、理科教材室に骨格標本と人体模型がありました。何故かバラバラにして遊んだ覚えがあります。でも興味深いのは、それは自分自身の内部なのです。自分がそうなっているのです。人間の身体って、よく出来たものだと思います。神さまが創造されなければ、誰が創造するのでしょうか。まさに神わざだと思います。