【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年9月10日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書8章5~13節
みことばをください
踊 一郎
苦難の日には、私に呼びかけよ
■ ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は三部作です。『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』(1719年)、『ロビンソン・クルーソーその後の冒険』(1719年)、『ロビンソン・クルーソー反省録』(1720年)です。第三部は「文学史や経済史の研究者以外、今日ほとんど誰も読まない作品」ですが、作者デフォーの考える人間像を知るためには不可欠なものです。子ども向けの単なる冒険物語ではなく、社会学者マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中でこの作品を取り上げ、主人公の中に合理主義的なプロテスタンティズムの倫理感を読み取っています。実は作者デフォー自身、熱心な非国教派の信徒でした。
■ 絶海の孤島に漂着した主人公は難破した船から生きるのに必要な物資を運び出しますが、その中には聖書と祈祷書がありました。
「立派な聖書も三冊あった。これは元来イギリスから持ち込んでいたもので、ついでにほかのものといっしょに持ち込んでいたものであった。」彼は体調不良の中で聖書を取り出して読みはじめるのですが、最初にぶつかった言葉は「なやみの日に我をよべ、我なんぢを援けん、而してなんぢ我をあがむべし」(詩篇50:15)、神の恵みを経験した彼は「朝のうち、聖書を取り出して、まず新約聖書のほうから本気になって読み始めた。これからは毎朝毎晩、しばらくの間でも時間があれば聖書を読むことに決めた。それも何章ずつと無理に決めるのではなく、聖なる思いの続く限り、読むことにした。」
この日課をまじめに果たすようになってまもなく、彼はこれまでの自分の生活が罪深いものであったことを痛感し、ついに悔い改めたのでした。
■ 私自身の場合はどうだったのか…。大学受験に失敗し、京都の予備校に行くことになりました。神への不信感もあり、聖書を持っていこうとはしませんでしたが、牧師の父は訪問用の小型版新約聖書を私のカバンに無理に入れました。私は不愉快な思いで眺めていました。しかし京都に着いた最初の夜、カーテンも電球もない狭い部屋の中、私は心細さと不安でいっぱいでした。「今頃、我が家ではみんな揃って家庭礼拝を捧げているんだろうな」と思いました。私は父が無理に押し込んだ新約聖書を取り出し、窓辺の月の光の下でマタイ福音書1章を読んだのです。イエス・キリストの系図です。この中には今の私と同じように不安な思いで夜を過ごした人が一人ぐらいいたのではと思った時、急に聖書が私に近づいてきたような気がしました。それから毎日本気で聖書を読むようになったのです。