梅木幸子
この1年間の間に、私の生活には二つの大きな変化がありました。
一つは夫の母が昨年11月から我が家で暮らすようになったことです。そして、何と母は95歳という高齢で、昨年のクリスマスの日にバプテスマを受けクリスチャンとなりました。私の両親が神さまを受け入れないまま逝ってしまったので、残されている夫の母には、命がある間に是非神様を信じて欲しいと長年祈ってきました。ですから義母のバプテスマは神様からの大きなクリスマスプレゼントでした。
神さまを受け入れた義母は毎日感謝と喜びのうちに生活するようになるだろうと、私は思い描いていたのですが、現実はそんなに簡単なものではありませんでした。義母は相変わらず「こんなに苦しむなら早く死にたい」とか「なんでこんなにいつまでも生きないかんちゃろうか」などと毎日言います。でも、食事は三度三度、何でも美味しい美味しいと言いながら食べ、おまけにちょくちょくお菓子やフルーツも食べています。私は、「そんなに食べられるうちは死なんよ」とか、「96歳で、自分で食べて、着替えて、トイレにも行けて、シャワーも自分で浴びて、耳もよく聞こえて会話が出来、ボケてもいないのはすごいよ、助かっているよ」と言っています。これと言って、病名がつくような体の不調は無いのですが、高齢による目が十分には見えないことや、体の衰え、身体の様々なところの痛み、又思うように活動出来ない事が辛いようです。母の長生きは母にとっても私にとっても忍耐が要求され、「神様を信頼して歩む」ための訓練の時となっているようです。
もう一つの変化は、今年の4月から「NPO法人美野島めぐみの家」の理事長になったことです。名実ともに20年以上にわたって「美野島めぐみの家」の顔としてその活動を率いて来られた瀬戸紀子さんの活動を身近に見てきて、その後を引き継ぐことは、わたしにとってはとても重いことで絶対無理だと思いました。しかし、もう80歳近くなった紀子さんに理事長としての重責を負わせ続けるのは、やはり気の毒だと思いました。神様からの「おまえがやれ」という召命の声は聞こえてこないと思いながら、他に引き受ける人が見つからないまま、周囲の状況から引き受けざるを得なくなりました。ただ、「自分はスパッと辞めてもう来ない」と言っていた瀬戸さんに、理事の皆で顧問として理事会に残り、しっかり引継ぎとサポートをして下さるようにお願いしました。一番の懸念事項は瀬戸さんが持っていた代表の携帯電話を持つことでした。夜中に野宿者に助けてくれと言われても、私は紀子さんみたいには駆けつけられません。しかし感謝なことに、この半年、私の手に負えないような電話はかかってきませんでしたし、無理せずに、出来ない事は出来ないと伝え、関連の支援団体につなぐことも出来るようになりました。
この二つの生活の大きな変化を受けとめることが出来たのは、これまでの人生で神様から与えられた経験のおかげだと思います。特に約30年前の出来事が私の心に強く残っています。その頃、私たち家族は夫の母の実家が二日市にあった縁で土地を紹介され、この原田に家を建て、筑紫野二日市教会に転入しました。しかし夫は東京に単身赴任、長男は熊本で寮生活そして私と3人の子どもは原田にと3か所に分かれての生活でした。私たちが転入してまもなく筑紫野二日市教会では新会堂建築が始まり、12月には引っ越し、翌年1月には献堂式、そして2月には初代牧師の北原末男先生が辞任退職なさり、二日市を離れられました。離れる前に、教会学校の幼少科の科長の仕事を私に頼まれました。当時、小6、小3、3歳の我が家の子供達3人が幼少科でお世話になっていましたので、お引き受けすることにしました。しかし向こう見ずにお引き受けした後で、本当に私に出来るのだろうかと、じわっと恐れが湧いてきました。悶々として眠れない中、明け方夢を見ました。それは、マタイ福音書14章の湖の上を歩いているイエス様を見て、私も歩いてそちらに行かせてくださいと言って歩き始めたペトロが怖くなって沈みかけた場面でした。イエス様は「主よ、助けてください」と叫んだペトロを、手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。そこではっと目が覚め、「ああそうだ、このペトロは自分だ」と思いました。ペトロはイエス様から目を離し、強い風に荒れる波を見て怖くなったのです。私もイエス様から目を離し、一人で子育てをする毎日や幼少科のプログラム作成の為に必要なワープロも出来ないなど、現実を見た時、恐れがわいてきました。私はイエス様から目を離さず委ねていけば、神様が与えられる仕事は無事に成し遂げられると思いました。神様が私にこの夢を見させられたのだと思いました。それから神様の導きと支えの元に、ワープロを覚えプログラムを作り、毎年のキャンプやクリスマスなどを企画して、それを現実の事にしていくことを学びました。婦人会の役員として、教会の執事として、又、昼食作り、諸集会、祈祷会への参加、家庭集会の開催など、忙しいけれども楽しい教会生活でした。本当にいろんなことを教わり訓練していただき、すべてが、筑紫野南キリスト教会を立ち上げる時の力となりました。
その後、自分ではとても担えないと思う仕事を神様が与えられるたびに、イエス様から目を離しさえしなければ、神様が必要な智恵も力も助けも与えられるという確信のもとに過ごしてきました。そして、まさにその通りでした。
「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。 たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」イザヤ書41:10
「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」ローマ書8:28
2023年10月15日