2024/1/21
八田堅司
まずはじめに1月1日大地震に見舞われた北陸地方で亡くなられた方々に哀悼の意を表したいと思います。ご遺族の方、被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。今なお安否が不明な方や避難を余儀無くされている方々に対する救援と復旧の作業が速やかに進みますように。寒さをしのぎ日々の食事ができますように神様が救いの御手を伸べて下さることを心よりお祈りしています。
この度の大きな災害の現状を思うとき、語る言葉が見つからず私の証しがどれだけ救いのための力になるだろうかと悩みました。ですので、今日は私的で細々したことは語らず教会に連なる信徒としてどのように生きていきたいと考えているかをお話したいと思います。神様がこの証しを豊かに用いてくださいますよう心から願っております。
1月7日福岡城西キリスト教会の原田寛先生が御言葉を取り継いでくださいました「キリストを模範にして」との礼拝説教の中で、キリスト者になるということは古い自分を十字架につけ新しい命を頂いて生きることだと語られました。
これは自分を捨て、主なる神イエス・キリスト様を頭として生きていくということを現しています。自分の命を捨てることになっても神と人とを優先し仕えていくと言っても良いと思います。まさに人類の罪を贖うため十字架に掛かられた主イエス・キリスト様の御姿そのものです。
主イエス・キリスト様は、この人生でこれさえ手に入れば何も要らないというただ一つの宝です。永遠の命を頂くための門です。イエス様ならどうされるかをいつも問いつつ生きていくことが重要です。
この度の大地震に対しては、神様が愛しておられる被災者の皆様や避難生活を余儀なくされている方々のために祈り、できる救援を成していくことが求められていると思います。そして、この原田の地域に暮らし、生きる目的や希望を失い弱っておられる方々の元にも私は遣わされています。ですから、私は教会のあらゆる行事ごとに先だって教会を初めて訪れた方や悲しみにくれ疲れておられる方、求道者の方々を十字架上で苦しんでおられる主イエス・キリスト様だと思って仕え、優先したいと考えています。
信仰を告白してバプテスマを受け、神様に罪を贖って頂き永遠の命を頂けると喜び勇んで歩み出した私が、遠くにいる人のために祈り観念的に愛することができたとしても、たった一人で具体的な助けを現地に届けることはとても困難なことです。また、原田の地域でいつも近くにおりながら、たった一人でアンテナを張り、助けを必要としている方々に寄り添っていくこと。これまた容易なことではありません。
そこには同じ信仰を持った神様を主と仰ぐ仲間であり兄弟姉妹である皆さんとの協力が必要です。共に祈り情報を共有しながら困っておられる方々を救っていく。そのような主の御姿に倣い近づいていくために、愛する兄弟姉妹の皆さんと助け合い篤い祈りを共にして行きたいと思います。そうして目の当たりにするたくさんの主の救いの御業に感謝し賛美していくところに神様の栄光が益々照り輝いていくと信じております。私は、主の光に集う神様の家族と共に永遠(とわ)に喜んでこの人生を歩んで参ります。
皆様と共に祈り、苦しむ者悲しむ者のために喜んで仕え、主の御身体であるこの世で最も虐げられている方々に触れて、私も教会の皆様と共に人生で得たいくつもの傷を癒して頂きたいと願っています。
教会は、自らの罪を認め神様に赦された者同士が「あなたもキリストに救って頂いたんですよね。」「イエス様があなたの人生に寄り添い豊かなものにして下さるんですよね」と頂いた恵みを分かち合い、感謝しつつ、霊による交わり、慈しみの心、哀れみの心を持って神様と人とに仕えている場所です。ですから、主が頭である教会はどこの教会であっても社会的弱者が安心して過ごしていただける温かい場所に違いありません。教会には衣食住などの具体的な生活のサポートを援助する務めだけではなく、心の支えとなる主の御言葉を取り継ぐ務めが与えられています。
ですから私は、折に触れて主イエス・キリスト様ご自身が心の支えとなり人生を共に歩んで下さることを出会うお一人おひとりにお伝えしていきたいと思います。
神様はいつでも永遠の命をお与えになろうと信じる者達を待っておられます。今日もそのような方々のもとに私は遣わされます。その出会いの一つ一つを大切にして主に仕えて参りたいと思います。
イエス様は
「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」~マルコによる福音書 10:27 新共同訳~
とおっしゃいました。
マナを降らせこの世界の苦しみ悲しみをいつでも速やかに癒すことがお出来になります。しかし神様は、直接介入して私たちをないがしろにすることはなさいません。私たちが共に祈りを合わせ心を砕きつつ、この世の小さき者のために仕えるよう待っていて下さいます。そうして主を頭として歩む私たちなら必ず癒すことができる。神様の奇跡をその手によって見せよ!と励ましてくださるのです。自己中心的に生きてきた私が人に仕えて生きていくことは、御言葉に養われなければ起こりえない有難い奇跡なのです。この小さな器に御業を載せて苦しみ弱っておられる方々のもとに愛の業を運ばせて下さり、私を神の子として下さるのです。
私は弱く一人では何もできません。私が誇らないためです。そんな私を用いて神様はその栄光を現わされます。
この世で最も小さく弱い方々のために仕えている世界中の教会で、北陸の地で、神様の救いの御業を目の当たりして神を信じ救いに預かる方々がたくさん与えられますよう心から願っています。
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」~ヨハネによる福音書 4:14 新共同訳~