【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】※原田牧師急病のため、礼典執事が説教原稿を代読しております
2024年5月19日説教要旨
聖書箇所 使徒言行録2章1~41節
チャンスだ
原田 寛
五旬(ギリシャ語で50・ペンテコステ)祭は、ユダヤ教のお祭りの過越祭から50日目という意味です。その日、主イエスの十字架の死と三日目の復活に出会った弟子たちは、集まって祈っていたところ、聖霊がそそがれた、様々な言語で語りだしました。エルサレムを訪れていたユダヤ以外に住むユダヤ人たちは、その言葉を聞いて驚きました。それぞれの故郷の言葉だったからです。人々は、新しい酒にでも酔っているのだと思いましたが、ペトロは、イエス・キリストのことを語ったのでした。
ペンテコステの事柄から、次の三つのことを学びたい。
〇 現状の受け入れ
イエス・キリストは、福音を宣べ伝え、多くの奇跡をおこなうなどすばらしい歩みをしてきたが、ユダヤ人の指導者たちと敵対したということ、ローマ帝国の支配者たちにより処刑されたことなどを受け止めた。そのような中で、主は復活され、信じる者たちと共に過ごして、昇天されたことを受け止めた。
〇 神様の為したもうことへの感謝
「エルサレムに留まって約束のものを待ちなさい」(使徒1章3~5節)と言われ、集まって祈っていました。ただ、集まっていたのではなく祈りつつ前進していた。ここには、神への信仰と感謝に満ちた交わりがあった。
〇 信仰に立つ勇気
聖霊は、そのような中に降臨した。大祭司の庭で三度もイエスを「知らない」と否んだペトロが、他の使徒たちと共に立ち上がった。そして、大胆に語った(使徒2章1~41節)。預言されているメシアは、ナザレのイエスであると。
ただ、単なる使命感や責任感で立ち上がったのではない。聖霊が注がれたことによって使徒たちは、救いの核心と神の恵みに対する感謝と喜びが根底にあった。その感謝と喜びは、多くの人々を引き寄せました。聖霊の働きは、使徒たちの言葉を聞いた人々の心を打ち、主の恵みの元へと導かれていったのです。
私たち筑紫野南教会の祈りは聞かれ、導かれている。私たちの主なる神への感謝と喜びは、どのようなものでしょうか。これは、信仰によってチャンスを得ているのではないでしょうか。私たちは共に、信仰をもって感謝と喜びをもって仕えてまいりましょう。