【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年9月15日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙二3章12~18節
主は霊です
原田 寛
出エジプト記19章以下には、シナイ山において、モーセが神から十戒を授与されるところが記されています。モーセは、二度十戒を手にしているのですが、その1回目、神とイスラエルの民との間に、契約が締結されます。その後、モーセは石の板二枚をもってシナイ山に登り40日40夜過ごします。そして、石の板に神自ら文字を刻んで十戒が授与されるのです。しかし、その間、待たされた人々は、金の子牛の像を製造して、これがエジプトからイスラエルの民を導き上った神だとしてお祭りを始めてしまいます。急遽神はモーセに下山を命じ、モーセはこの事態に十戒の板を打ち砕いて対処します。神に対して罪を犯したことで大きな犠牲を払いました。契約を締結したばかりの躓き、モーセも神の前にたいへんな恐れをいだいていたのですが、神の憐みを受け赦されるのです。そして、再度、シナイ山に登り十戒を授与されて下山するのです。二度目の授与の際に、モーセの顔が光輝き、他の人はモーセを見ることができませんでした。それで、アロンとヨシュアがモーセの顔に覆いをかけたのです。この事柄をパウロは、手紙の中で思い起こさせているのです。
パウロは、モーセの光輝くのがイスラエルの民の前で光が消え去っていくのが見られたくなくて覆いをかけていると言います。そして、イエス・キリストの栄光はそのような消え去るものではないということです。イエス・キリストに結ばれているひとりひとりは、この栄光を受けており、お互いに覆いをかける必要がないし、その栄光は消え去るようなものではないとしまします。
このようなことを与えているのは、主の霊です。主とは「霊」ですと示されています。「霊」は、聖霊とか、主イエス・キリストの霊とか、真理の霊とか、助け主とか言われています。イエス・キリストに結ばれた者と伴なる霊です。その「霊」によって「鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく」のです。