【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年10月13日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙二5章16節~17節
古いものは過ぎ去った
原田 寛
「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。」
肉は、人間的なことです。「どこにお務めですか」「お住まいはどちらですか」「年収はいかほどですか」・・・。肉としてのイエスは、ガリラヤのナザレの出身。大工のヨセフと妻マリアの子として成長する。ユダヤ人の一般的な認識として、「ガリラヤから何の良いものがでようか」と言われるところの出身である。しかし、多くの奇跡を行い、病人を癒し、悪霊を追い出し、死人を蘇らせ、大勢の人たちを救った。そして、救済者としてイスラエルの復興への期待を集めた。しかし、イエス・キリストは、すべての人の罪を背負い十字架にかけられて殺された。イエスに心から期待をかけていた人たちは、「神はこの素晴らしい人をお見捨てになった」と思っただろう。
イエスの死に対し、人にはどうすることもできない。しかし、神は三日目に復活させた。神が成したもうことだ。神の前に人間的なことは過ぎ去ったのだ。パウロは、この人間的なことを「古いもの」と記す。しかし、この「古いもの」は、人を支配し続けている。復活した「キリストに結ばれる」ことは、クリスチャンになることを意味している。古いものが新しいものにのまれていることを意味している。いや、新しいものになったのだ。
キリストに結ばれたものとして歩もう。パウロが言うように、人を人間的に見るのでなく、神が新しくしてくださったことを知るようにしよう。