【説教音声ファイル】
2025年1月26日説教要旨
聖書箇所 フィリピの信徒への手紙2章1~4節
同じ愛を抱き
原田 寛
2章1節以下は、1章27節以下「キリストの福音にふさわしい生活をおくりなさい・・・」からつづくキリストにある勧めです。
1章4節において、「あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」と記します。投獄されているパウロが、寄り添うフィリピの教会を喜んでいる言葉です。しかし、2章では、同じパウロが「わたしの喜びを満たしてほしい」と求めています。これは、パウロ自身の本心と言えるのかもしれません。
パウロは3章12節で「わたしは、…完全な者になっているわけではありません」と記して、生身の人であることを表しています。獄中の現実に心を寄せるフィリピの教会を喜びつつ、同時に、日常の厳しさをより理解を深めて祈ってほしいということだったのでしょう。
パウロの勧めは、キリストにあって「同じ思い、同じ愛をいだき、心を合わせ、思いを一つにする」ことです。それも「利己心や虚栄心からするのでなく、へりくだってする」ことなのです。(利己心は自分の利益を求めるような心。虚栄心はうわべだけを飾ってよくみせようという心)。神は、人には見えないところを見ておられる方(サムエル記上15章16節)です。「へりくだる」は、相手を敬って自分をひくくするという意味ですが、パウロが示すことは「相手を自分より優れた者と考え、それぞれが自分の事だけでなく、他の人のことにも注意を払う」ということです。
イエス様は、普通のユダヤ人が行わないことをされました。たとえば、エリコの徴税人ザアカイのところに行ったとき(ルカ福音書19章)、ザアカイが主イエスの関わりから「主よ、財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かから何かだまし取っていたら、4倍にして返します」と言います。イエス様は、「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。」と宣言しました。ザアカイは、主イエスの言葉にとても勇気づけられたことでしょう。主イエスの愛を受けたザアカイが隣人を愛するようになりました。主イエスの愛は、パウロを教会の迫害者から福音宣教者へと変えました。同じ愛でわたしたちも作り変えられたのではないでしょうか。
獄中にいるパウロは、その愛で励まされ力づけられ、共に喜ぶ者となりたいと願っているのでしょう。
わたしたちも同じ愛を抱いて歩み、隣人に接していきましょう。