聖書箇所:創世記12:1~9
私は永い間、旧約聖書を、特にモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を、現代に生きる自分にはそう重要ではないというような読み方をしていました。それが学ぶに従って、旧約聖書と新約聖書は切り離せないものだということに気づき初め、特に創世記は、聖書全体を言い表しており、これほど興味深い、また自分自身の根源を明確にしてくれる書物は他にないという思いに至っています。
創世記をこれから学んでいこうとする人にとって、創世記を理解しやすくする三つのことを少し紹介します。
その一。創世記は、事物の起源と選ばれた民イスラエルの祖先の起りを示しています。そして、イエス・キリストに至る系図が記されていますが、アダムの傍系子孫を取り除いていく形式を取っています。直系の系図はヤコブ(後のイスラエル)の四番目の息子ユダを経てダビデと続き、最終的には約束された救い主であるメシア、キリストに到達します。
その二。創世記は、ほぼ均等な四つの部分に分けられています。すなわち、
(一)1章1節~11章26節までが、「世界と人間の起源」について。
(二)11章27節~25章18節までが、アブラム(後のアブラハム)について。
(三)25章19節~36章の終りまでが、イサクとヤコブについて。
(四)37章から50章までが、ヤコブと息子ヨセフの物語について語られています。
その三。創世記は三つの循環によって書かれています。この型は、神から出る本来の善、人間から出る罪悪、神の善と慈悲による救いです。この型は創世記全巻を通じて展開されます。
今日の12章1節から9節の箇所は、新共同訳聖書には「アブラムの召命と移住」という小見出しがついています。キリストの到来はイスラエルの民によって準備され、その民の準備はアブラハムの召し出しから始まります。アブラムの妻サライは不妊の女であったと記されています。アブラムとサライの家系はこれで途絶えるはずでした。アブラムはすでに75歳、サライは65歳でした。しかし、ここで突然、アブラムに神様の言葉が臨んだのです。12章1節「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」、4節「アブラムは主が言われたようにいで立った」とあります。神様が「わたしが示す地に行きなさい」と告げ、アブラムは、その言葉に従って旅立ったのです。ここに「信仰の父アブラハム」が誕生したのです。その後、私たちに至るまで途切れることなく続く「神の民」の歴史が、ここに始まったのです。「神の民」とは、どのような人たちのことを言うのでしょうか。それは、この地上における地位や名誉や財産よりも、神様の言葉に従うことを、何よりも大切にする民、それが神の民です。アブラムは、神の言葉に従って旅立つことによって、その神の民のありかたを鮮やかに示したのです。
2014.7.6説教要旨 岩橋隆二牧師