【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年8月10日説教要旨
聖書箇所 エフェソの信徒への手紙2章14~18節
キリストの平和
原田 寛
8月は、「平和」を考える大切な時ですが、どのような平和を考えていますか。
戦争のない恒久平和ですか。二度と戦争をしないという「不戦の誓い」ですか。
核が使用されないようにという「非核」についてですか。いずれも大切なことです。多くの人々の平穏な歩みをもたらし安心をあたえる事です。
求めている安心との裏返しに、今日様々な「不安」に包まれていると思います。たとえば、格差社会の分断が進み、対立が生まれ、不満があふれてきていると思います。与党が敗北した参議院選挙は、その現れでしょう。高齢化が進み様々な社会的負担が、若い世代を覆う中でその不安を具体的に表し始めたということでしょう。そして、不安を不満という形でアピールし、「まだまだ、こうすれば大丈夫だ」と不安解消につながる具体策を示しているところに票が集まったということと思います。
このような流れは、少子高齢化に伴う生産性の低下や労働者不足に対し、社会的な方向転換につながるのか、GDPなどにあらわされている低成長期の経済問題や、個人の収入が増えず物価だけが高騰しているといわれてきた失われた30年に終わりはあるのか。こうした中でも、持てるものは豊かさを享受するが、貧しいものは今日の糧も確保できないという現実が進んでいます。こうした中で、見えないところ見せないところがあると感じさせられ、不信感とともに不安は募るばかりではないでしょうか。神不在を感じさせられます。
御言葉は、イスラエルの民と神を知らずに生きてきた異邦人の間にある隔ての壁について示します。イスラエルの民というのは神の恵みが約束された民のことで、神が共におられる民のことです。
主イエスは、神の民と異邦人との間にあった隔ての壁を取り壊しました。御子イエス・キリスト自ら立って、そのようになさいました。人は、神自ら打ち壊してくださったことを知り、打ち壊してくださった方に感謝を表し、共に歩む者となります。すなわち、神と人とが共に歩むようになる。これが「キリストの平和」です。イエス・キリストの十字架の死によってもたらされた平和なのです。この御言葉は、大きな方向転換をもたらすものです。
神はすべてをご存知です。神は、神と共に歩みキリストの平和を得ている私たちに、共に生きるようにと、出会いを与え、共に歩む場を与えてくださっているのです。
共に『キリストの平和』に預かって歩みましょう。