【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年9月14日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書4章22~24節
霊と真理をもって
原田 寛
サマリアのシカルの井戸で、イエス様と向き合ったサマリアの女のお話から学びましょう。
イエス様の時代、ユダヤ人とサマリア人は、交流できず対立していました。サマリア人は、B.C722年に当時の北イスラエル王国がアッシリアに亡ぼされた際に、多くの民がニネベに捕らえられていきました。サマリア人は、この地に残された人々とアッシリアの移民政策によりこの地に住んだ人々との間に生まれた人々を指しています。ダビデ王朝に対立して生まれた北イスラエル王国は神と共に歩もうとしていなかったということが、列王記や歴代誌の記述に表されています。南ユダ王国は、アッシリアではなくバビロニアに亡ぼされます(BC586年)が、そのバビロニアを滅ぼしたペルシャ王キュロスによって、BC.538年にユダヤを復興することが許されました。ユダヤ人は、エルサレムに神殿を建立しようとしますが、サマリア人はそれを妨害したことが旧約聖書に記されています。また、アレキサンダーによってこの地が支配された時、サマリア人はゲリジム山にサマリアの神殿を建立しました。エルサレムを中心とするユダヤ人と別の神殿を持つサマリア人との間に決定的な溝ができたことを表しています。
イエス様は、このサマリアの地に赴き、シカルの井戸の側に腰を下ろしました。お昼頃、そこに登場したのは、井戸から水を汲もうとしてやってきた女性でした。通常、井戸の水汲みは重労働とされ、気温が上がる日中には行いませんでした。そのような時間に水汲みをする人は、他人と顔を合わせたくない「訳アリ」の人と考えられます。イエス様はその女性に「水を飲ませてください」と切り出します。しかし、彼女は、「サマリア人はユダヤ人と交流しない」ことを理由に断ろうとします。そこで、イエス様は、「もしあなたが神の賜物を知っており、また『水を飲ませてほしい』と言っているのがだれであるかを知っていたら、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」と返しました。女性からみれば、「初対面なのにどうして、このようなことが言えるのか」、「水を飲ませてほしいというのはあなたの方でしょ」と普通なら思うところです。しかし、この彼女には、「心の渇き」といえる事柄があったのです。彼女は、「主よ、・・・」とへりくだる思いをもって質問します。イエス様は、彼女の「心の渇き」に対して「・・・わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と語り、彼女は「その水をください」と求めます。
「心の渇き」は、他者に触れられたくない事柄や自分自身でも向き合いたくない事柄に関連しています。彼女には五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。その点をだれからも心から触れられたくなかった。しかし、イエス様は「夫を連れてきなさい」と言ってその点を指摘していくのです。イエス様は「わたしを信じなさい」と言われ、ユダヤ人のエルサレムやサマリア人のゲリジム山でもないところで真の神を礼拝する時がきていると知らされた時、「このような者でも覚えられている」と罪の赦しと救いを、心に喜びを持ったのです。サマリアの女と呼ばれるこの女性は、主イエス様との出会いの喜びを、サマリアの人々に向き合い伝えにゆくのです。
神は、信じる私たちのすべてを知っておられます。私たちも包み隠さず心から真をもって神様の前に出ていきましょう。それは、罪の赦しを得るとともに救いの喜びと新しいいのちに生きることになります。それは、「ハレルヤ」とこころから主を賛美し、渇くことのない生ける水を生じさせるものです。