私は、三浦綾子さんが書かれた「新約聖書入門」「旧約聖書入門」という本を通してイエス・キリストを信じ、救われました。そういうこともあってこれまで「氷点」をはじめ何冊かの本を読んでまいりました。「氷点」の登場人物の中に自殺者あるいは自殺未遂者が4人出てきます。自殺の原因は、その人たちに共通していて、人生の目的・生きる目的がわからなかった。つまり、自分の存在価値・存在意義を見いだせなかったことだ、と書かれています。すべてが豊かで便利になったと思われる現在の世の中において、実は多くの人々の心はカラカラに渇いています。生きる目的を失い自殺する人や自分の存在意義を見い出せずに他人をも殺める者が後を絶ちません。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と神様はおっしゃっています。あなたは必要とされている、誰一人価値のない者はいない。そして究極の、「人生の目的・生きる目的」は、神を愛すること・人を愛すること、だと三浦綾子さんは、すべての作品を通して、一貫して語っています。
アブラハムは、主の言葉を信じ、住み慣れた安全な土地を離れ、主の示された地カナンに来ました。ハランを出てからすでに20数年が経ったと思われます。この間、アブラム一族は、飢饉のためにエジプトに寄留したり、部族間の争いに巻き込まれたり、色んなことがありました。大いなる国民とするという主の約束はそのままです。創世記15章1節です。「これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、『アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう』」。20数年間も何の変化もないアブラムは、もう後継ぎはしもべにきめました、と言います。主は「それは良くない。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきだ」と言います。そして主は彼を外に連れ出して、空一面に輝く星を指し示し、あなたの子孫はあの星の数のように増し加わるであろう、と言われます。6節です。「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」。
アブラムは、拗ねはしましたが、「あなたを信じない!」とは一言も言っていません。ここが重要です。幼子が母親に拗ねるようなものです。根底には愛で結ばれています。信頼関係があるのです。私たちも、たまには神様に甘えても良いのです。ひたすら主の言葉を信じて歩いてきたアブラムです。主はそのことを、「あなたは正しい」「あなたは良い」「よし」と認められたのです。
ヘブル人への手紙11章1,2節に次のようにあります。「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに称賛された」。
アブラムは祝福された人でしたが、その祝福は、喜んで住み慣れた安全な土地を離れ、見知らぬ土地へと出ていった彼の信仰から流れ出たものです。主の言葉を信じ、
どのような困難に遇ってもひたすら忍耐をもって信じ続けました。その信仰を主は「正しい」「よろしい」と認められたのです。
最後にコリント人への第二の手紙4章18節を読んで終わります。
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである」。
2014.7.20説教要旨 牧師 岩橋隆二