【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年10月5日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙二4章16~18節
内なる人は日々新たにされて
原田 寛
私の母・令子のことをお話したさせていただきます。
母は、2009年12月に父を天に送り、そのあと約10年、共に歩んでくれました。父は、東八幡教会の初代牧師として13年間つかえ、八幡東区の荒生田というところで生活しました。とても貧乏な暮らしをしました。兄たちは、中学に入学すると新聞配達をして家計の一部を担うようになりました。そんな生活の中で、母は、よく買い物についてきなさいと言って、わたしだけを連れ出してくれました。近くには、当時、八幡製鉄の社宅がありました。その社宅の側に大蔵川という川が流れています。川に沿うように荒生田市場がありました。また、社宅の側には製鉄所が運営するスーパーのような店舗がありました。夕方になるとお買い物のためにごった返していました。世の中は、高度経済成長のまっ只中でした。わたしは、母のあとをついて歩くという感じでした。買い物が一段落すると、母は、スーパーの出入り口にあったドリンクショップでジュースを買って、「これ飲みなさい、みんなには内緒だよ」と特別扱いをしてくれました。自分と母の特別な時間として、とてもうれしい思い出でした。
時間が経ち、父が召天してからだったと思いますが、この母との特別な時間を母と兄弟たちにこの自慢話として話したことがありました。兄弟たちは、それは自分にもあると言い返し、何と母は、兄弟ひとりひとりにしていたことが判明しました。母は、にやにやしていました。本当に貧しかったころの母のやりくりを思い出しつつ、みんな笑顔で分かち合うことになりました。
母は、以前から胸の痛みを覚え、その苦しみを訴えることがありました。父が心臓の弁膜症や大動脈瘤乖離をしていたので、とても心配でした。しかし、診てもらっても検査を繰り返しても身体は悪くありませんでした。母は、息子や娘たちの理解を得られず、寂しい思いを持ったということでした。孤独な母を支えたのが、主イエスを信じる信仰と御言葉でした。
わたしには詩篇23編を示してくれました。
「主はわたしの牧舎であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは、必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう」(口語訳)
「敵の前で」⇒死や孤独と捉え、共におられる方は「宴」を催し、主の御業のためにわたしの頭に油を注がれる。こんな私が必要とされていると読みます。母の力となっていました。
母は、2020年4月にイエス様の下にまいりました。