【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年10月12日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書6章5~9節a
天におられる私たちの父よ
原田 寛
「主の祈り」は、弟子たちが「わたしたちにも祈り方を教えてください(ルカ11章1-2節)と求めたことに対して主イエスが示された祈りです。マタイ福音書は、祈るときには、「あなたが祈るときには、奥まった自分の部屋に入り戸を閉めて、隠れたところにおられる父に祈りなさい。そうすれば隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」と示します。言い換えれば、ひとりで父なる神に相対するようにしなさいということです。さらに、主イエスは、くどくどと祈る必要はない、父はあなたの必要をご存じなのだからと示します。
主イエスは、このように語られてから『主の祈り』をこう祈りなさいと示されました。この祈りは、模範の祈りであると共に礼拝においてささげられる祈祷文という意味があります。終わりの部分にあたる「頌栄」(国と力と栄光は永遠にあなたのものです。アーメン)は、初代教会によって祈祷を公の礼拝に適合させるために付加されたものと考えられています。
主が示された「主の祈り」は、12弟子や使徒パウロをはじめ、福音書の著者、バルナバ、シラス、テモテ、それから、マリアも主の兄弟たち、さらには、ローマ帝国においてキリスト教を公認したコンスタンチヌス、アシジのフランシスコ、ルターやカルヴァン、日本にキリスト教をもたらしたザビエルやルイス・フロイスなど多くの先達とつながります。
わたしたちは、教えられているとおりに「天におられる私たちの父よ」とはじめます。神は、天におられると同時に共におられる方なのです。
モーセが荒野で神の召命を受ける際、モーセは、神に「わたしは何ものでしょう。イスラエルをエジプトから導き出さねばならないのですか」と神の召しを断ろうとします。神は、モーセに「わたしは必ずあなたと共にいる。イスラエルを導き出して、あなたたちはこの山で神に仕える」と語るのです。主の祈りは、同じ神に呼びかけることから始まります。神は、天地創造とともに命あるすべての生き物を創造された神です。イエスは、その神のゆるしなしには髪の毛一本も地に落ちることはないと教えました。神は、永遠に存在し、何かに依存するようなことは全くなく、絶対的な力と権威に満ちておられる方です。
主の祈りは、この神に「わたしたちの父よ」と呼びかけなさいと言います。ヘブライ語で「アッバ」です。十戒は、「神の名をみだりに唱えてはならない」と命じられています。当時、神と会うことは、死ぬと考えられていました。この畏れ多き神の名を呼ぶことはできません。
しかし、主イエスは、この畏れ多き神を「父よ」と呼ぶようにと示した。「父」はヘブライ語で「アッバ」です。「アッバ」は「お父ちゃん」という身近な言葉だと聞きます。神は、神の家族としての「お父ちゃん」と呼ばれたいのです。すべての人々を救うために御子をお遣わしになるほどの愛が表されているのです。若かった頃、小さいわが子が「パパ・ママ」と呼んでくれた時を思い出してください。すぐに「何」「どうした」と何もなくても対応しました。神は、広く深い愛のある、そして慈しみ深い方なのです。神は、十戒においては「わたしは、熱情(ねたむ)の神」と言われるほどです。神は、私たちが心から「父よ」と呼びかけられることを心待ちにしておられるのです。
わたしたちは、祈りの度ごとにまた主の祈りをささげていくとき、共におられる主がその呼びかけをお待ちになっていることを常にとらえておきましょう。