【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年11月2日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書6章11節
今日の糧をお与えください
原田 寛
「今日の糧をお与えください」という主の祈りの言葉について、考えて参りましょう。
わたしたちは、「糧」という言葉を用いて、「人生の糧」とか「失敗を糧に」などということがあります。様々な経験や知識をもとにして将来の力にしていくという意味です。それはもともと、「糧」という言葉が食べ物や栄養を意味することから、比喩的に用いられていることばということです。主の祈りで用いている「糧」は、「食べ物」を意味します。そして、わたしたちは、「食べ物」を得て心も身体も満たされる思いをもつものです。
食物は、単純に簡単に得られるものではありません。創世記3章19節に「お前は顔に汗を流してパンを得る」とありますように、人は、様々な労苦を経て食物を得ていくことになっています。様々な労苦と人生は結びつきますし、罪とのつながりもあるものです。聖書は、食べ物が罪と繋がっている事柄を記しています。アダムとエバは、食物(善悪を知る実)ゆえに神の御言葉に従うことができませんでした。カインは、神にささげた食物を神が受け入れなかったと思ったときに、食物を受け入れられた弟アベルを殺害しました。アマレク人は、エジプトを脱出したイスラエルを攻撃し、様々な人品を略奪しました。また、イスラエルがカナンの地に定着した時も、イスラエルが苦労して得た産物を略奪しました。結果、アマレクはイスラエルによって滅ぼされることになったのです。
神に従う人たちに対して、神は、イスラエルが荒野をさまよったとき、天からマナやウズラを送って民の食を保ったのでした。イスラエルの民の内では、多くとったものは少ないものと分け合ったことが記されています。食物に関する不安は、民の中に等しくあることでした。イスラエルは、マナを得ている間、食物において罪を犯すようなことはなかったでしょう。
聖書は、次のようなことも伝えています。パウロは、第二コリント11章27節以下で「飢え渇き、しばしば食べずにおり、・・・」と。フィリピ4章12節では「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも、・・・満腹していても、空腹であっても・・・わたしを強めてくださる方のお陰でわたしにはすべてが可能です」と、伝えています。パウロは、日ごとの糧を求めつつも、しかし、得られなかった時があった。そのような時、自分を強めてくださる方の存在を、心に深く憶え平安だったということです。そのパウロのお奨めは「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をもめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4章6-7節)です。
マタイ6章31-32節に「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、悩むな、あなたがたの父はこれらのものがみなあなたがたに必要なことはご存知である」と言われます。神の国と神の義を求めて「今日の糧をお与えください」と祈ってまいりましょう。
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