私は1943年1月、福岡空港(当時板付空港)に程近い志免町で生まれました。終戦時、2歳7カ月であった私は戦争のことは殆ど知りません。当時私が住んでいた志免と、馬出の九州大学病院までは直線距離にして約10キロメートル、車で30分の近さでした。当然周りには九州大学に関係する人達が多く住んでいました。学生、職員、教員、病院関係者等でしたが、これらの人たちのみならず、近くに住む大抵の大人は直接の加担者ではなかったにしろ、実際に行われたあの残忍で狂った事件を生々しく身近に感じていただろうと思います。戦争末期の軍部と九州大学病院関係者によるアメリカ人捕虜の生体解剖事件は、あまりにもおぞましく、一刻も早く過ぎ去り風化するのを息を潜めて待つより他になかったことでしょう。また、この実態が明るみにされた時、戦後の騒然とした世相の中でも特段に異臭を放つニュースとして人々に衝撃を覚えさせたことでしょう。しかし、あまりにも不快で、世界中に日本人の愚劣さを印象づける事件だけに、その後政府は報道管制し、人々もタブー視したであろうことは察せられます。そうしてこの事件が忘れ去られようとした中で、作家遠藤周作は、戦争が引き起こす狂気さと日本人の愚劣きわまりなさの故に、この難しいテーマに取り組む決心をしたのではないかと思うのです。そのことが描かれている遠藤周作著『海と毒薬』に今夏、再び目を通しました。
身近に起きたあの事件の故か、「人間の肉は酸っぱいらしい」といった気味悪い話をはじめて耳にしたのは、小学校高学年のときだったでしょうか。それは精肉店の店奥に吊り下がった肉塊を見るたびに「人肉話」を連想し、不快でぞっとしたことを思い出します。「人肉」に関しては、それが意識にのぼるだけで怖く、それ以上は考えようとしなかった私でしたが、30代中頃に読んだ大岡昇平著『野火』は、衝撃的であり、これまでの思考を一歩前進させ、自分だったら、いかなる行動をとったか、を正面から自問せざるを得ませんでした。作者は最後の章で次のように語っています。「もし、彼がキリストの変身であるならば・・・・ もし彼が真に、私一人のために、この比島の山野まで遣わされたのであるならば・・・・ 神に栄あれ」。死の間際にあった作者が生還し、そこで見たものは「同伴者イエス」でした。このことは、作家遠藤周作の作品にも通じるものが記されています。登場人物の勝呂二郎は、生体解剖、つまり、「殺人」行為に助手として消極的態度で参加する。彼は呟く。「神というものはあるのかなあ」「なんや、まあヘンな話やけど、人間は自分を押しながすものから・・・・運命というんやろうが、どうしても脱れられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神とよぶならばや」。カトリック信者である作者は、このところで自分の意思ではどうにもならない運命と、神の存在を同時に語っているように思います。つまり、「平凡でみじめな」勝呂にイエス様が「同伴」してくださることが暗示されています。勝呂は作家遠藤の側面であり、ここには実は私たち日本人の側面が描かれているのではないかと思います。神なき風土のこの日本で、「罪と罰」とは、の問いかけがなされているのではないかと思うのです。
2014.8.24 牧師 岩橋 隆二