宮村 晃一
私は12年前のイースターの記念すべき日に洗礼を受けました。
求道とは言えない1年間でしたが、教会に毎週礼拝参列しての後でした。
55歳のとしでしたので、なんとも言えないイエス様の新鮮さが心にあり、
教会が、無宗教だった私には別世界のように感じられたことを今でも思い出します。
どうしてクリスチャンになったのか、13年間休まず教会に足が向いたのか、わかりません。神様から、そうさせていただいたのでしょう。
サラリーマンの時は日曜日に休めない仕事だったので、独立して、
日曜礼拝に参列する時を待たれたのでしょう。
しかし、私の霊的、信仰の成長は、悲しいほど成長しておりません。
苦しみや、思い煩い、トンネルの中から抜け出せない自分。
苦難が続き四面楚歌に陥った時、何回神様を恨んだことでしょう。
それが、私の罪からでたものです。
しかし、神様は最後に盾になっていただけます。
最後には救いの手を差し伸べていただけます。
どれだけ恵みをいただけたのでしょう。
数えれば、これだけ多くの奇跡をいただけたのは、在天の主がおられる証拠だと思います。
これからは、あなたの御言葉をいつも学び、あなたの大船に乗せていただき、
どんな嵐の海の中でも、前向きに力強く生き、あなたが必ず目的の港へ
到着させて頂きますことを信じます。
罪だらけの私ですが、あなたの十字架の血で贖って下さることを信じます。
神様、何よりの私の望みは、いつの日か、走るべき道のりを走り終えて
「信仰を守りとうしました」と言えることです。
信仰を守りとおしたとき、あなたは、義の栄冠を用意していて下さいます。