梅木幸子
この数ヶ月の間に、これは神様のお導きだと思うことがありましたのでお話させていただきます。
昨年12月に高校3年生の時のクラス会に出席しました。めったに同窓会には参加しない私なのですが、10人ほどでかつての担任の先生に久しぶりにお会いするということで、つい心が動かされました。卒業以来50年以上経って初めてあった人もいました。みんなそれなりに年を取って、最初は誰だかわからなくても、名前を聞いて確認しているうちに昔の顔が浮かび、その顔が今の顔に更新されていく様は不思議な脳内体験でした。そのクラス会に、たまたま出来上がったばかりの「NPO法人美野島めぐみの家」の報告冊子を人数分持っていって配りました。福岡市内の県立高校なので、同窓生もそれなりに地元に住んでいます。この冊子を読んでもらえば、私が理事として20年以上関わってきたホームレス支援ボランティアの働きの理解と支援の輪が少し広がるかなぐらいの軽い思いでした。
その集まりに、この学年の同窓会の世話人をしていて、毎月同窓会便りとしてニュースレターをネットで配信している同窓生がいました。そのネット配信の中で「あの人は今」というコーナーがあり、そこでいろんな同級生の卒業後の人生が語られるという企画です。様々な人が様々な仕事や活動などでどんな人生を歩んできたか語られ、なかなか興味深いものです。その「あの人は今」コーナーに、私にも原稿を書いて欲しいと依頼されました。特別に人に披露するようなことは何も無い平凡な主婦ですから、「えっー」と思ったのですが、まあ「美野島めぐみの家」のことを書いて載せれば、さらに多くの人に宣伝になって支援者が増えるかなと思いお引き受けしました。
しかし、いざ書こうとすると「めぐみの家」の活動ばかりいきなり書くのもなんだか変なので、高校を卒業してからの自分と、どうしてその活動に関わることになったのかを書くことにしました。その時に欠かせないのが、どうして自分がクリスチャンになったかという経緯でした。これは神様が多くの人に神様のことを伝えようと自分の証を用いようとされていると感じ、祈りつつ書いていきました。原稿を送った後、担当の彼女からメールが来て、「素晴らしいあなたの人生と文章力に魅了され、まだ余韻を楽しんでいます。本当に書いてもらってよかった。」とありました。もちろんリップサービスもはいっていることとは思いますが、神様が私を用いて下さったと感謝しました。
もう一つのことは、今年の2月後半から教会で、土曜日に新しく「聖書の学び」をすることになったことです。20年以上英語を5人ぐらいの友達と地域のコミセンで学ぶというか遊んできました。材料は英字新聞や小説や詩、又会話や文法の本などいろいろです。子どもたちの成長、学校、就職、結婚、親の介護など様々なことを共有してきた仲間です。しかし、ちょっと困った事情が出来て、コミセンでの活動を終了しました。そして場所を変えて再出発しようということになり、教会を使わせてもらえないかということになりました。その時に、せっかくだから聖書を英語で読みたいという提案が一人から出されました。このグループのうち二人は以前「英語で聖書を読む会」や「讃美歌を歌おう会」に出席していた人たちですが、この提案者は今まで一度もこの教会に来たことのない人でした。そういうわけで、もう一人の教会に初めての人を含めて毎週小一時間、聖書を読み始めました。瓢箪から駒が出るような経緯で、コミセンでの活動をクローズしなければならなくなったことを神様が伝道の機会として用いさせて下さっていると感じています。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」伝道の書3:11