聖書 マタイによる福音書27章15節~18節 今週から受難週が始まります。神の御子イエスが神の救いの業に従って、我々の罪のために十字架で死なれたこと3日後に甦られることを覚えて歩む1週間です。
アブラハムはいまから4千年前の人物ですがいまなお信仰の模範です。その名前の意味は「多くの国民の父」です。彼は父テラに伴われて妻のサライ(後サラと改名)、甥ロトと共カルデヤのウルを出てハランに住みました。父はそこで亡くなりました。
サムソンの事績は士師記13章~16章に書かれている。サムソンとは「太陽の人」の意。ベテシメシ(「太陽の家」の意味)の近くに生まれたのでそう名付けられた。ヨシュアの死後170年の間イスラエルに王は無く、士師と言われた人たちがイスラエルを治めた。サムソンはその中の一人である。彼は強敵ペリシテ人に独力で立ち向かった怪力無双の男である。武器を持たず驢馬の顎骨で千人の敵を倒した。或る時は敵の支配する町に閉じ込められたがあっさりと脱出した。その際町の門の扉、門柱、かんぬきを引き抜き、山上まで運び敵の度肝を抜いたのである。
イースターが近づいてきました。この機会に再度主イエスの十字架による死と甦りの意味を考えるために、マルコ福音書から今回の聖書の箇所である過越の祭りにエレサレム入城されたときの最後の晩餐の場面をとりあげました。
ヨブ記は数々の災難に遭遇し苦しみつつも、義人ヨブが神に回答を求める話である。人生の苦難の理由を追求した文学の上でも不朽の作品といわれている。
今日の聖書はシモン・ペテロの召命の記事ですが、キーワードは「主よ わたしから離れて下さい。わたしは罪深い者です」(ルカ5:8)というシモン・ペテロの罪告白のことばです。危機の中で絶大な力を持ち、困窮の中にある人間を助けられる生ける神(イエス)がいらっしゃる、その神を信じないでいた罪、そのことに気づかされたシモン・ペテロの罪告白です。人間は自分の空しさを知る迄は神の存在は観念的であり、生まれ変わるためには神の尊厳の前に打たれなくてはなりません。
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは、戦争に負けて連れてこられたユダヤ人の青年でした。彼らは敗戦国の出身とはいえ幼い時からしっかりと宗教教育を受けていました。
2018年2月4日説教要旨 聖書箇所:マタイによる福音書7章13節~14節
2018年1月28日説教要旨「いやされたナアマン将軍」列王記(下)5:1~14 私は北陸の金沢にうまれました。金沢は浄土真宗のさかんなところです。大抵の家には仏壇があり、そこに「御文(おふみ)」が備えられています。私の家にもありました。その中の言葉にも、学ぶべきものがあるのです。例えば次の言葉です…
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