2018年11月11日説教要旨 聖書箇所:エペソ人への手紙 2章8節~10節 2017年はマルティン・ルターが宗教改革の発端となる「95か条の提題」を公表して500年目の節目の年でした。ルターは、本来のキリスト教精神から逸脱し、「悔い改めの心や償いの行為無しに、煉獄の罰が免除される」という免罪符を販売するなど腐敗しきっていたカトリック教会を批判し、プロテスタント教会が生み出されるきっかけを作り、キリスト教会を本来の精神に立ち戻らせました。
2018年11月4日説教要旨 聖書箇所:ローマ人への手紙1章16節~17節 先月の10月31日は宗教改革記念日でした。私たちプロテスタント教会が忘れてはならない人物、マーチン・ルター(Martin Luther/1483~1546)を覚える日でした。
2018年10月28日説教要旨 聖書箇所:イザヤ55章1節-9節、マタイ4章1節-4節 バプテスマ(受洗)おめでとうございます。日本のキリスト教人口は1%にも満たないというのが実情でしょう。キリスト教徒になることは神の恩恵だと思わずにはおれません。
2018年10月21日説教要旨 聖書箇所:マタイによる福音書 13章47節~50節 本日はマタイ福音書13章の天国の譬えが多数述べられている中から、地引網のたとえを取り上げました。主イエスはさまざまな事例を通じて天の国とはいかなるものかということを我々に示されています。
2018年10月14日説教要旨 聖書箇所:創世記:2章7節 主にある生き方を求めて,日々を生きている者にとって「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」、この深遠な問いは、人間が持ち得る最高のそして永遠の問いであるように思われます。
2018年10月7日説教要旨 聖書箇所:ローマ人への手紙 8章28節 普段私たちは「我らは死ぬべき存在である」ということを考えません。メメント モリ(memento mori)という言葉を思います。{ラテン語}汝(なんじ)は死を覚悟せよ(remember that thou must die)という意味ですね。死に例外はありません。
2018年9月30日説教要旨 聖書箇所:ルカによる福音書10章30節-37節 「善きサマリヤ人」として名高いこの箇所は、よく知られた箇所ではあるが、実践は難しい。特にその当時のユダヤ人とサマリヤ人との対立が激しく、道であっても挨拶を交わすことすら許されない、などと言ったことを知れば、よりいっそう、このサマリア人の行った実践が、当時の常識をはるかに超えたものであるということが分かる。
2018年9月23日説教要旨 聖書箇所:ホセア書 2章:14節-22節 旧約聖書のホセアとアモスは、前8世紀の預言者です。アモスの預言はおおよそ前760年、ホセアは遅れること10年、前750年頃でした。時代的背景を同じくしている二人ですが、預言の調子の色彩は異なります。
2018年9月16日説教要旨 聖書箇所:サムエル記下 18章:31節-33節 これはダビデの宮廷のお家騒動の場面です。ダビデにアブサロムという子供がいました。「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はなかった。足の裏から頭のてっぺんまで、非のうちどころがなかった」(サム下14:25)とあります。その子が父ダビデに背いて謀反をしたのです。父の残念はいかばかりだったでしょう。
2018年9月9日説教要旨 聖書箇所:ルカによる福音書17章11節~19節 本日はルカ福音書17章から「一人のサマリア人の信仰」を取り上げました。この物語は単純でわかりやすいので、印象が薄くかつあまり記憶に残らない思いがあり、また「評論家」的な読み方に陥ってしまう危険性があります。ここの箇所を理解するためには、サマリアという政治的宗教的歴史的対立構造とユダヤの律法に規定された「穢れの浄化」レビ記の知識が必要となっています。