2018年5月6日説教 聖書箇所 エゼキエル書 37:1~14 エゼキエルは、今からおよそ2千6百年も前に召命を受けました。彼が捕囚の地のバビロニヤに捕え移されたのは25歳の頃だったようです。青年時代の多感な時です。イスラエル民族は独立を失いバビロニヤ帝国の統治下に置かれました。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』とは、彼らの実情でした(33:10)。
2018年4月29日説教 聖書箇所 民数記 21:4-9 民数記はイスラエルの人口調査(正確には壮丁調査-夫役・兵役に召集される若い男性を調査すること)の記録です。この書物に数字が多く出てくるのはそのためです。
本日の箇所は共観福音書すべてに記載されているレビの招きで、マルコ福音書2章のところから「罪びとを招くために」と題して考察してみました。
聖書箇所:ヨハネによる福音書9章1節~3節 せきつい損傷で手足が麻痺して口に絵筆をくわえて詩と絵を書き続ける群馬県在住の星野富弘さんが、かなり前に茨城県の中学校の文化祭に招かれて講演をされたときのことが新聞記事として載っていました。
聖書箇所:詩編63篇1-4節、ペテロの第1の手紙1章1-3節 「一番大切なのは命だ」と言います。でも現実にはそうなっていません。自殺が多い。生きる喜びを失っている人々が大勢いる。それで何が命だと感じている人が沢山います。
聖書箇所 ルカ24:1-12 1986年の8月のことです。内村鑑三(1861‐1930)の墓を訪ねることにしました。家内の父母が東京の地理に詳しく同行してくれました。
聖書 マタイによる福音書27章15節~18節 今週から受難週が始まります。神の御子イエスが神の救いの業に従って、我々の罪のために十字架で死なれたこと3日後に甦られることを覚えて歩む1週間です。
アブラハムはいまから4千年前の人物ですがいまなお信仰の模範です。その名前の意味は「多くの国民の父」です。彼は父テラに伴われて妻のサライ(後サラと改名)、甥ロトと共カルデヤのウルを出てハランに住みました。父はそこで亡くなりました。
サムソンの事績は士師記13章~16章に書かれている。サムソンとは「太陽の人」の意。ベテシメシ(「太陽の家」の意味)の近くに生まれたのでそう名付けられた。ヨシュアの死後170年の間イスラエルに王は無く、士師と言われた人たちがイスラエルを治めた。サムソンはその中の一人である。彼は強敵ペリシテ人に独力で立ち向かった怪力無双の男である。武器を持たず驢馬の顎骨で千人の敵を倒した。或る時は敵の支配する町に閉じ込められたがあっさりと脱出した。その際町の門の扉、門柱、かんぬきを引き抜き、山上まで運び敵の度肝を抜いたのである。
イースターが近づいてきました。この機会に再度主イエスの十字架による死と甦りの意味を考えるために、マルコ福音書から今回の聖書の箇所である過越の祭りにエレサレム入城されたときの最後の晩餐の場面をとりあげました。