【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年6月29日説教要旨
聖書箇所 詩編119篇105節
みことばの光
原田 寛
詩編119篇は、アルファベット詩篇のひとつです。アルファベットは、英語ではA・B・Cですが、ヘブライ語ではℵ(アーレフ)・ℶ(べート)・ℷ(ギメル)・・・で、全部で22文字です。この詩篇は、ヘブライ語のアルファベットを頭に使用して作成されたものです。
2025年度の主題聖句として選んでいただいたのが、119篇105節「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」です。この御言葉は、神の御言葉が「私の道」(人生)であり、「私の歩み」(人生)を照らす「灯」であると、信仰者がその豊かな経験から表す核心の言葉です。御言葉に導かれてきた思いが短い言葉に表されています。私たちの信仰の歩みにおいても同様に述べることができる事柄があるのではないでしょうか。
西村清雄(すがお)という信仰者がいます。彼は、讃美歌21・466「山路越えて」の作詞者です。この讃美歌が生まれたときの物語があります。
彼は、1903(明治36)年松山夜学校の校長をしていました。松山から南約100㎞に宇和島というところがあります。宇和島で、コーネリア・ジャドソン宣教師が伝道活動をしていました。ジャドソンは、松山夜学校の創設者でした。ジャドソンに協力を求められ、宇和島での活動を二週間にわたって支援しました。その帰りに生まれたのが、「山路越えて」という讃美歌です。
舞台は、今から120年前の話です。時は2月上旬、午前10時に宇和島街道を松山に向かって北上します。西村の旅は徒歩の一人旅でした。今のように道路は舗装されていませんし、街灯も整備されていません(道けわしく、ゆくて遠し)。西村は、宇和島街道を法華津峠、卯之町へと歩を進めます。大洲の手前、鳥坂峠では日が傾き暗闇が迫ってきたとのこと(志す方に何時着くらん)。風の音(松のあらし)、川のせせらぎ(谷のながれ)を聞きながら、日も落ちて暗闇の中を大洲の町を目指しました。西村は、独り旅の心細さの中で、三輪花影という信仰者で夜学校の仲間が、新作の讃美歌を造っていたことを思い起こしました。そして、ゴールデンヒルの曲に重ねていったのが、綴ったのが「山路越えて」という讃美歌となりました。暗闇の中で山道を進みながら、ヤコブの石の枕(創世記28章10節以下)を思い起こし、石を枕に眠ることもあるかと、そして、「みくにしのばん」と過酷な旅の一面を信仰の言葉にして表現します。西村は、信仰によってジャドソンの宇和島伝道を支援する旅をしたのです。
川端純四郎という新約学の先生が、「さんびかものがたり」という本の中で記しているお話です。この讃美歌は、日本の教会で愛唱讃美歌として必ず1位か2位に入る名作だと紹介しています。