【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年7月20日説教要旨
聖書箇所 詩編121編1~2節
目を上げてみよ
原田 寛
- 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
- わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
「都に上る歌」と言われるこの詩篇は、エルサレムの神殿に詣でる人の信仰の強さが表されていて、この詩篇を詠む人のこころを引き付けます。讃美歌435「山辺に向かいてわれ」作詞者・別所梅之助のこころをもとらえてこの讃美歌を作成させました。
別所梅之助は、東京出身、1871年生まれ、英語を学ぶことをきっかけにキリスト教に触れ、献身して青山学院大神学部に学び、メソジスト教会の牧師になった人です。同級生には中田重治という日本のホーリネス派教会の指導者となった人がいました。中田重治は、讃美歌・聖歌にかかわる中田羽後の父です。別所は1945年3月に脳溢血で召されました。東京大空襲は経験しませんでしたが、戦前の軍国主義下の牧師でしたから、中田らと共にいつも厳しい立場に立たせられていたのではないかと思います。1929年に自ら作った讃美歌を心に繰り返しながら、難局を乗り越えてきたのではないかと思います。
中田重治は1939年に召天しましたが、その後、大きな事件が起きます。ホーリネス派弾圧事件です。1942年6月と43年4月に、中田の関わりが深い、「きよめ派」と「日本聖教会」と日本基督教団に加わらない牧師たちで組織された「東洋宣教会」の計124名が逮捕され、4名が獄中死、3名が出獄後に亡くなりました。逮捕されていた中に小原十三司師がいます。小原師のお連れ合いは鈴子といい、徳川家の姫様として有名な人でした。
このグループでは、中田師を中心に聖霊運動がさかんに進められ、そして、キリストの再臨と神の国の出現への備えを教え、そして、今の時としてキリスト者の忍耐を説いていたと言われます。それが、天皇を中心とした国家主義をすすめる軍と対立し、戦時下の治安維持法にふれるとして牧師たちが逮捕されたのでした。別所は、ホーリネス弾圧事件を身近に見ながら、この試練の時に、目を上げて、真の神の助けを信じつつ、信仰者の歩みを貫いていたのでしょう。戦後、佐賀教会を導いた加来国生先生は、ホーリネスの聖霊運動に関心はあったと著書の「パンくず牧師」シリーズの中で述懐しておられました。けれど加来先生は、仲間に加わらず聖書を徹底的に学び直したとおっしゃっていました。
日本基督教団は当時の富田満統理をはじめ、ホーリネス弾圧と逮捕事件を受け入れると共に、文部省から求められた教会設立認可の取り消しと教師(牧師)の自発的な辞職を求めたと言われます。そして、戦後、1984年に教団はこの件について、当時の誤りを認め、教団総会に関係者と遺族を招き、公式に謝罪をしたということです。
主にあって「新しい時代が来る」のです。
「助けは、天地を創造された主のもとから来る」・・・詩篇の作者は、「すべてのものを創造された主」に大きな信頼を置きます。