聖書箇所:列王記下9:27~37 説教題:「死に方が人生を物語る」
岩橋隆二
イズレエス人ナボテの所有していたぶどう畑は、北イスラエルの6代目の王アハブ(前873~851)の宮殿の近くにありました。王はこれを買おうとしましたが、ナボテは先祖から受け継いだものであるからと言って売りませんでした。そのため王妃イゼベルは、悪計をもってナボテと彼の子らとを打ち殺し、その畑を王の所有としました。エリヤはその罪を責めています。このことは列王記上21:1から24節に詳しく述べられています。
ところが、アハブとイゼベルの子ヨラム(北イスラエル8代目の王。前849~843)が正にその場所で矢に当って死にました。この出来事は偶然のように見えますが、エフー(北イスラエル9代目王。前843~816)はエリヤの預言(列王記上21章)を思い出しました。エフーがヨラム王を殺したことは、単なる反乱や因果応報ではなく、神のさばきでした。ですから、エフーは、預言の内容が成就するようヨラムの死体をナボテの畑に投げ捨てました。
ユダ王アハズヤ(ユダ6代目王843)も死にましたが、彼はダビデへの神のあわれみによってダビデの町に葬られました。神様は悪き人々による不条理な死を、その時代が過ぎた後も忘れずに裁かれました。
幸いな人は、悪者のはかりごとに歩んだり罪人の道に立ったりしません。当時ユダ王国は、悪しきイスラエル王国と同盟を結んでいました。ユダの王アハズヤの母はアハブとイゼベルの娘(アタリヤ)でしたが、アハズヤは母にならってアハブの道に歩み、主の目の前に悪を行いました(歴代誌下22:2~4)。アハズヤの死もアハブの家のほかの王たちと同様にさばきの結果です。アハズヤは戦車の上でエフーの攻撃を受けて死にましたが、これはアハブが死んだ時の状況と似ています(列王紀上22:34~37)。アハズヤがユダを治めた期間は1年です。列王記で王の統治期間が短いことは、神のさばきが下ったことを意味します。世の中との妥協は、私たちを罪へと導き、神の道から外れさせます。
アハブの妻イゼベルは、イスラエルに神を裏切らせる主導的な役割をしました。彼女は、エフーの反乱にも堂々としていました。イゼベルはエフーを見ると、彼をジムリに比べてあざけります。クーデターによって政権を掌握し、たった7日で鎮圧されて死んだジムリのように、エフーもすぐ挫折するだろうと言います。しかし、その脅かしは歯の抜けた年老いた雌獅子の声に過ぎませんでした。すでに彼女の側近さえも彼女の味方ではなかったからです。エフーの命令で彼女に仕えていた宦官が彼女を突き落とします。髙い所から落ちた彼女の死体は、エフーの足に踏まれ、獣に食べられ、形がわからない状態で散らばりました。その死は、神のさばきの預言をリアルに証ししました(列王上21:23~24)。
私たちは目に見える偶像や密かに心を捕える無形の偶像を警戒しなければなりません。神はどんな偶像をもお許しになりません。