2018年4月29日説教
「銅蛇瞻仰(どうじゃせんぎょう)」
聖書箇所 民数記 21:4-9 瀬戸毅義
民数記はイスラエルの人口調査(正確には壮丁(そうてい)調査-夫役・兵役に召集される若い男性を調査すること)の記録です。この書物に数字が多く出てくるのはそのためです。
約束の地に入るには先ず民の実情を把握しなければなりません。大事業を為すに際してモーセの準備万端の姿勢が読み取れます。ユダヤ人は本書を「荒野にて」(「バミズバール-in the wildernessの意」と呼んでいます。そのように、本書はイスラエル人の荒野流浪の記録・流竄録(りゅうざんろく)です。40年の荒野の旅には数々の失敗談がありました。不信・背叛がありました。その意味では民数記は信仰失敗録とでも言えるでしょう。
さて21章に青銅の蛇の話があります。6節に「火のへび」(口語訳)「炎の蛇」(共同訳)とあります。毒蛇を推測できます。噛まれたときの焼けるように痛みを述べています。青銅は銅とすずの合金です。古代文化では危険な生き物の力は、その像を造って鎮めることが出来ると信じられました。英語のことわざにもLike cures like(毒をもって毒を制す)とあります。
後の時代にヒゼキヤ王はこの青銅の蛇を人々が礼拝しているのを偶像礼拝としてこの像を破壊しました(王下18:4)。青銅の蛇が人々を癒したと信ずれば偶像礼拝となりますが、イスラエルの神への信仰を持ってこの像を見上げる者は、イスラエルの神によって癒されるということになります。
イエスはこの故事を手掛りとして,ご自身の十字架の死の意義を解説されました。つまり、キリストを信じ、仰ぎ見る者は、滅びから永遠の生命へと移されるのです(ヨハネ3:14‐18)。
樂土家鄕絶國邊
飢窮臥病路三千
餠苓水湧知神佑
恩寵方深四拾年
楽土(らくど)の家郷(かきょう) 絶国(ぜっこく)の辺(へん)
飢(う)え窮(きわま)り病(やまい)に臥(ふ)し路三千(みちさんぜん)
餅(もち) 苓(お)ち 水(みず) 湧(わ)き 神佑(しんゆう)を知(し)る
恩寵(おんちょう) 方(まさ)に深(ふか)し 四拾年(しじゅうねん)
徒旅=徒歩の旅。
絶國=非常に遠いこと。
神佑=神の助け。
餅苓=荒野を彷徨するイスラエルの民に、神は嗎哪(マナ)を落として下さったという故事。舊約聖書「出埃及(エジプト)記」十六章に記されています。マナは訓点舊約全書に餅とあります。英語でマンナ
水湧=モーセがつえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たという故事。舊約聖書、民数記二十章十一節に記されています。
私たちの人生に楽あり、苦あり、山あり、谷ありです。神を信じて歩む者に神の助けは必ず約束されています。